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学習効果を上げる方法~直線から円へ

学習していて成果がでるということは学習した箇所を理解し、間違って解釈していた箇所が正しく補正されるということです。間違えることは大きく分けて2種類あります。一つは前述したように間違って解釈している場合、そしてもう一つは十分な学習もしていないで自分の予測というか感覚というかまたは勘といったもので解答を出してしまう場合です。
前者の方は再度学習することで自分の学習した箇所が不完全であったり誤解して解釈していたことに気付いて正しい解答が得られます。やっかいなのは後者の間違え方で、こういうタイプのミスを多く犯しがちな人は常にリスクを負って解答すること(ギャンブル)に慣れてしまっているのでその習性(性格)を変える必要があります。交通ルールをよく知らないで始めっからスピードのでる車で公道を走るのと同じです。まずは落ち着いてルールを学び、自分の能力を知り確実に安全な走行を心がけるべきです。

さらにこのタイプの人は場当たり的な学習をしてきているのでどこが分からないかも分からなくなってきます。「どこが分からないの?」と聞くと「全部」という返答が返ってきます。つまり、設計図のない家を建てるのと同じで、トイレがどうなっているか、台所がどうなっているか、リビング、収納、階段がどうなっているか造れば造るほど混乱してくるのです。その結果、家は傾き、水は漏れ、いつ崩れるか分からないのです。

このタイプの人の注意すべき点はまさか自分がそうだと思っていないところです。なぜなら部分部分は一見すると普通に見えてしまうからです。短い問題や比較的短い範囲の試験などでは得点ができても少し長めの問題や複雑な問題になると思考停止状態になりがちで広範囲にわたる試験になると得点がしにくくなるというのがこのタイプの特徴でもあります。

また学習のやり方で多く見られる特徴はとにかく試験に出るかどうかが一番の関心事で最小限の勉強で最大限の効果をねらう直線的な方法を採ります。直線的な方法であるが故、少しでも変化球が飛んできたりすると同じ種類の問題だと気付かず「先生、やったところ全然でませんでした」という感想が返ってくる。

全く同じ問題なんて出るわけはないし、万が一出たとしてもそういうタイプの人はおそらく間違える。得てしてこういうタイプの人の口癖は「面倒くさい」「何で私が(おれが)?」何事も今、流行の「そんなの関係ねえ」で済めばいいのだが・・・

それでは総合力を身につけるにはどうしたらいいか?それはリビング、台所、トイレ、そういった場所と場所の動線を考えなければならない。つまり広角の視野を持つ幅のある学習をすることです。社会科を学習するということは理科も学習していること、理科を学習することは数学も学習し、英語を学習することは国語、歴史、地理、文化をも学習することに繋がっているのです。

つまり基礎学習はすべて繋がっていて境界線があるようでないのです。前述した直線的な方法に対して丸みのある円形方法だと思います。円と円でどんどん面積を広げていきますと重なる部分ができてきます。その部分が動線です。応用力です。重なった知識は断片的なものから重層構造になってきて崩れにくく、その上にさらなる圧力のかかる学習にも対応できるのです。

目先の欲にとらわれず自分の知的好奇心にふたをしないこと。自分の基礎を造っているのだから面倒くさがらず落ち着いて重層構造の基礎を造り大局的な視野で物事をとらえたいものです。
第一次南極探検隊副隊長の西堀栄三郎さんの言葉より
何事も億劫がって面倒くさがって簡単に得た知識は役に立ちません。自分の足で自分の身体を使って苦労して得た知識が応用の利く生きた知識となるんですね。



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頭脳革命-秋の脳内ガイド

暑かった夏も終わりを告げ足早に訪れる秋の気配に驚かされます。そんな落ち着きのある実りの季節に自分自身を内省しさらにもてる能力を伸ばしたいものです。能力を伸ばすと言ってもそう簡単にできることではありません。具体的にどうすればいいかを考えることも能力を伸ばすためには大変重要です。ですから今回は自分で考えることを書き記せるような考えるヒントから始めます。
集中力とは? 文字通りに解釈すると「中に集める力」である一点に焦点を当てることでしょうが逆説的に考えると普段散らばって様々な用途で使っている力を一つずつ消していける能力ではないでしょうか? 分かりやすく説明すると直列つなぎの豆電球を数多く普段ある程度の明るさで使っているわけですが一つずつ消していくと点いている残りの豆電球が明るくなってきます。一つ消し、また一つ消していく毎にますます残った豆電球は明るさを増していくことは想像がつくと思います。
人間の脳も身体も電気で動いています。今あなたがしたいことのみに電球を点けられれば相当明るい照明が得られます。そのときはつまり周りの電球はすっかり消えていなければなりません。ラジオや音楽を聴きながら勉強や仕事をした経験があると思います。勉強や仕事がはかどっている時はラジオや音楽が耳に入っていないことに気づくはずです。自然とじゃまな電球を消していたわけです。逆に音楽やラジオに耳を傾けすぎると勉強や仕事は止まってしまうものです。
必要な箇所以外の電球を消すことによって自然と一点を明るくできる能力が集中力です。私たちの身の回りにはあまりにも豆電球が多すぎて消すことができないのではないでしょうか。テレビ、ゲーム、携帯電話、近くにいる友達とのおしゃべり、持っているペンを回したりと集中を妨害するのにはさまざまな要因があります。気が散るだとか落ち着きがないタイプの人は何をやっても長くは続かないし、大成もできないのです。
さあ、それでは集中して勉強するには? 
次に記憶力とは? 記憶するためにももちろん集中力は必要です。なぜなら記憶が写真のフィルムなら集中力はフラッシュまたはフラッシュを作動させるための電圧です。電圧が低ければそこで撮られる写真もぼんやりしてくるのは当然です。さあ、電圧も上げた。それでは記憶するためには何が必要でしょうか? それは繰り返しと想像力です。何度も何度も繰り返していれば自然に記憶できますが、つまり低い電圧でも長時間かければそれなりの写真が撮れるわけです。しかし、何度も繰り返す作業がいつもできるわけではありません。事実、できないことが多いでしょう。

そこで活用しなくてはならないのが想像力です。想像力といってもこれは記憶忘却防止装置ですから特別にすごい能力だと考えなくていいですが携帯やパソコンの普及によって自分の頭に入れておかなくてもそれらが記憶忘却防止装置の役目をしているので想像力は思いの外低下してるかもしれません。しかし、この装置がないと記憶は確実に薄れ最終的には忘却の海の底に沈んで二度と浮上しません。鎌倉幕府ができた年は?「いい国作ろう……」やルート2は?「ひとよひとよにひとみごろ」または「すいへいリーベ……」なども一般に知られている記憶忘却装置ですが、各個人が学習することは一般的てきなことばかりではないのでやはりそれぞれの装置が絶対必要不可欠です。今ここに何も関係のない事柄を10あげますから一分で覚えてみてください。
秋刀魚-ワイン-鉛筆-ファックス-物置-満月-ロンドン-宿題-スリッパ-さくら。自分の好き勝手な空想話を作って一分後にもう一度繰り返して言ってみてください。
暗記することが苦手だった人もう心配しないで大丈夫でしょう。あなたの空想の世界で遊べばいいのだから。
最後に理解力。これは一般には難しいと思われがちですが実は一番簡単。ガイドについて行けばいいだけの話。ガイドの話をよく聞いて楽しみながら目的地まで行けばいいのです。ただ難しいのがガイド選び。ガイドの話が面白く無ければつい話を聞かなかったり、ガイドの声が小さければ聞き逃してしまうこともあります。逆に話が面白くてたまには冗談も交えてみんなの気持ちを引きつけてくれるようなガイドであれば自然と「へえー、なるほど」ガッテンガッテンと納得してしまうものです。つまり理解力とはガイドの力量に多いに関係しているのです。
ついでに得点力。日本のサッカーを見ていても気になるのが得点力不足。なぜ得点につながらないんでしょうか。それはすべてのプレーに真面目に集中し過ぎているからです。常に集中していればどこかで集中は途切れます。人間の集中力は無限ではありません。有限です。それもかなり少量しかありません。大切なのはどこでの力を出すかです。普段は60~70%くらいの力でいいのです。試合でも試験でもいざというときが必ずあります。そのときに余裕として残しておいた三段式ロケット噴射のように30~40%の力を使ってください。
途中で覚え10項目もう一度この紙の裏に書いて見てください。きっと簡単にできますよ。



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失敗は成功への道

東京の浅草寺に行くとする。誰かに連れて行ってもらえれば無事に目的地に着くことができる。連れて行ってもらうことに慣れてしまえば、自分で調べようとする習慣はなかなか身につかないだろう。「また誰かに連れて行ってもらえばいいや」という考えが浮かんでくる。確かに一時的にはその方が楽だし確実に安心して目的地にたどり着ける。しかし、彼は次回一人で浅草寺に行けるだろうか?絶対に無理だ。おそらく目的地まで連れて行ってもらえる人を探すか、あきらめるだろう。

ここで目的地にたどり着くことができない原因が二つある。一つは連れて行く側の態度。出かける前に
十分本人に調べさせて行く手順をシミュレートさせてみる。そして行く先々のポイントを確認させることが重要である。案外本人のイメージとは違った場面があって修正もされていくはずだ。つまり、連れて行く側が次回は彼一人でも目的地にたどり着けるようにさせようとしているかが大切だ。

もう一つは連れて行ってもらう側の意識。「また連れて行ってもらえるだろう」という考えを早くぬぐい去ることだ。今の瞬間を大切にすることだ。同じ時間は二度と戻ってはこない。そういった意味での「また」存在しない。鴨長明曰く「行く川の流れは絶えずしてまた元の水にあらず」

自分で行けるところまで行ってみよう。とことん行ってみて右に行っていいのか左に行っていいのか分からなくなって、それでもどちらかに行ってみて正しい道を探してみる。そういった手間のかかる努力をしたものだけが目的地にたどり着ける。ぎりぎりのところまで行ってみる。そこで行き詰まって困った状態になってからが応用の利く知識や生きた情報となる。苦労しながらやっとの思いで目的地までたどり着いて初めて大きな充実感が感じられるだろう。そしてまた次の目的地に行くことも可能になるだろうし、そこから先へと脚を伸ばすことができる。さらに道に迷ったことでいろいろな発見をすることもある。

次回は誰かを連れて行ってあげて自分が発見したもっと面白い場所も案内できる。つまり失敗だと思っていたことが後になって思わぬ収穫となる。

面倒くさがって自分の労苦を惜しんでばかりいればたいした喜びもないし、何の収穫もない。「ああ、めんどうくさい」と言う生徒が増えた。手間のかかる面倒くさいことが一枚一枚紙を重ねるように自分を成長させることだと理解しなければならない。世界中どこを回っても予想を遙かに超えた手間のかかる面倒な建築物や作品が訪れる人を感動させているのは周知の事実だろう。

今日の生徒に多く見られる現象として失敗(ミス)することを嫌い思考回路を全面的に閉ざしてしまう傾向がある。自分のプライドに関わりのない世間話は他人に迷惑なほど大声でしゃべりまくるが、いざ自分が発言を求められると「間違えたら恥ずかしい」と周りを過剰に意識しすぎて自分の意見や解答を言えなかったり言えたとしても周りに聞こえないくらいの小声で発言をする傾向も顕著に見られる。シャープペンシルを好み、ちょっとでも間違えるとすぐ消しゴムで消して、あっという間に消しゴムの山ができる。それには様々な要因が考えられるが育て方や環境に原因がある。失敗から何かを学ぶ経験が乏しくなってきている。

自分のかわいい子供のために旅行鞄に荷物やお菓子を入れてあげて、靴下ををはかせてあげて楽しい旅行をさせてあげて自己満足してはいないか再考したいものだ。「かわいい子には旅をさせよ」の真の意味を理解しなくてはならない。



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自分のやり方で

島では、ネズミはどうして大きくなるのだろうか。それには捕食者の問題があると思われる。島という環境は、捕食者の少ない環境である。おおざっぱな言い方をすれば、一匹の肉食獣を養っていくには、その餌として百匹近くの草食獣がいなければならない。ところが、島が狭くて十匹の草食獣しか養えないとすると、肉食獣のほうは生きていけないという状況が出現する。つまり、島には捕食者がいなくなってしまうわけだ。こういう環境下ではネズミは大きくなっていく。
大陸ではゾウはなぜ大きいのだろうか。それはたぶん、大きければ捕食者に食われにくいからだろう。ネズミはなぜあんなに小さいのだろうか。それも捕食者のせいだろう。小さくて物陰に隠れることができれば、捕食者の目を逃れられる。偉大に見えるゾウも、できれば「普通のサイズ」の戻りたいであろう。ネズミにしたってそうだ。だから、捕食者という制約が無くなるとゾウは小さくなる。そして、ネズミは大きくなって無理のないサイズに戻っていく。-本川達夫「ゾウの時間ネズミの時間」より
人間も動物である限りこの生物学の「島の論理・大陸の論理」にあてはまる。もちろん島国の日本はかつては国民がみな平均的に知的レベルが高く、争いを避ける術を知り、多神教(アニミズム)で自然に逆らわず、無理のない生活レベルで満足してきた。しかし、そこに突如として巨大なトイザらスやスターバックス、マックなどの肉食獣が現れた。これらの肉食獣から身を守るためには「大陸の論理」を実践するしかない。これが企業で言えばM&A(企業吸収合併)によって会社を巨大化させて大陸からの肉食獣に対抗せざるを得ない。いままで幸福に暮らしていたネズミたちはその余波を受けてリストラされて大陸のネズミのように小さくなっていかざるを得なくなった。その「大陸の論理」がいまや島国の日本を駆け回ってすべての分野で影響を与えている。再チャレンジできないほど格差が広がりを見せ始めた。そのうえさらなる「不可解な大陸の論理」も虎視眈々と日本上陸を狙っている。
もともと「島の論理」のあった場所に「大陸の論理」を無理に代入したのだからうまく機能するはずがない。「偽装」「偽造」「粉飾」「疑惑」などの言葉もそれと同時に大量発生した。

戦争で街並みが焼かれ、今度は日本の伝統文化もずたずたに踏みにじられてしまった。時代の変化で済ましてはいけない。そもそもなぜ大陸の肉食獣が島国に出現したのか。それは大陸にそろそろ餌が不足してきたからではないか。7月29日(日曜日)の参議院選挙が行われ与党の大敗北という結果になった。それは小さなネズミたちの反乱である。
日本人はよく個性的でないと批判されてきた。それは島で生活していくための協調性という点においてはやや優柔不断に見えたり、議論を交わして相手をやりこめることが苦手であることが積極的でないと映るかもしれない。しかし、「大陸の論理」が日本中を席巻している姿は退廃的なほど画一化してどこに行っても大店舗だけが目立つ同じような街並みである。それが美しい日本かと聞いてみたくなる。人間も個性的であるようだが実は表面的な服装とかファッションだけがポイントで中身は没個性のかたまりではないだろうか。
今や、地球はどんどん狭くなり、大陸から島の時代へ移りつつある。日本はかつて黄金の島ジパングと言われるほど美しい国であった。日本人は普通のサイズに戻りたいというゾウの本音が分かって、つまり世界を見通して、自分らしく自分のサイズに見合った価値観を発見しつつある。巨大な「大陸の論理」に驚かされて動揺はしたものの日本は自信を取り戻してきていると思う。
巨大な大陸の論理に驚かされた大きな理由はまず相手の言語、文化、習慣などの情報量が不足していたためだ。これからの日本は国際社会の中でコンピュータのIC的な存在を目指すべきだ。そのためには学校教育で英語にとどまらず他の外国語を学ぶ機会を増やして国際理解を深めなければならない。
権力のあるものだけが再チャレンジできる国であっては「私の美しい国」になってしまう。



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学び続ける心 褒めて育てた結果が!

何かを継続してやり続けることはとても難しい。精神力を維持させることが困難だからだ。最初は誰しもモチベーションが上がっているから問題ない。しかし、慣れてきて飽きてきて次第にモチベーションが下がってくると継続しなくていい理由を見つけ始める。他にしなければならないことがあったからとか体調が悪かったからなど些細な言い訳を作り出してしまうのだ。
では継続するにはどうしたらいいのだろう? 継続して学び続ける中で喜びを発見することと自分の中の変化を感じることだと思う。最初は少しの努力で大きな喜びが得られ大きな変化も感じられる。それが次第に大きな努力でも少量の喜びしか得られず変化も少なくなってくる。しかし、どんな仕事でも習い事でも乗り越えなければならない壁がある。壁にぶつかるたびにあきらめてしまったり、もっと楽ないい方法があるのではと猜疑心を抱いて挫折してしまう。せっかく希望して入社した会社も数年で辞めてしまう若者が多くなった。
現代の若者の多くは「褒めて育てられることがよし」とされて育った世代だと思う。褒めて育てることは大変すばらしい理念だが多くの人が解釈を間違えた。たくさん叱って、やっとできたときに褒めて育てるという意味なのに大切な叱って、懲らしめての部分がどこかに行ってしまった。褒めて褒めて褒めまくって育てた結果がちょっとした挫折にも耐えきれないひ弱な人間を作り上げてしまったのだ。ちょっとした注意にも過敏ですぐキレるという精神状態になってしまう。バウ生心得の中にも謳ってあるように人間は懲らされてこそ教育されたことになる。


バウ生心得

青春はさまざまの可能性を含む混沌の生命の時でもある。なにになるかわからない。なにかになれそうだという気がする。さまざまの夢を抱き、ロマンチックになるのは誰にも共通した点だ。しかし、青春の夢は想像で終わることが多い。青春の夢は大切だが、夢を実現させるためには、どれだけの努力と苦痛が必要か、不幸にして若者は知らない。
気分としての青春に陶酔することほど危険なことはない。『懲らされてこその教育』という言葉があるが、精神の上に大きな重荷を与えられ障害物を設けられて、懲らされることが必要なのだ。自己を厳格に教育する時間と空間を持たなければならない。孤独と労苦を栄光として厳しく自己を鍛えるなかで目覚めた精神のたしかな独立が自己実現を達成させるのである。
今まで両親や教師から導かれるままに歩んできたのだけれど、今度は自ら道を求めて行かなくてはならない。自己の未来、自己の生き方については、どんな名著にも書いてないし、両親も教師も無力であることを若者は思い知る。自分で一歩一歩を生きてみなければならない。そういう冒険のうちにあって、若者は深く孤独になり本当の自分を発見する。そして本当の自分に出会えた者のみに夢を実現するチャンスが与えられる。

最初から素人や初心者にうまくいくはずがない。失敗に失敗を重ねてそこから工夫が生まれ上達していくのだ。先生や師匠に叱られて叱られて最後の僅かばかりの優しい言葉や眼差しを喜びとして大きな壁を乗り越えることができる。しかし、そこには師と弟の間に深い絆と愛情があってこそ成立する人間関係が必要不可欠なのだ。現代社会では深い絆より浅くて広い関係を求める傾向にあるのでより一層不安定要素が大きくなる。
さらに悪いことに『軽い』仲間は大勢いるが自分を認め支えてくれる友人がほとんどいない。周りを見ても軽く挫折してしまっているし自分一人で孤独に耐えていくのはつらい。教える方の立場としても真剣に叱ってもすぐに「もういいです。やめます。」ではとりあえずやめさせないようにしておくのが精一杯で真の師弟関係は成立しない。
最悪なのはそういう子供たちを育ててしまった親が何も気づかずにいることだ。何が悪かったか分からずに自分の子供が注意されたり叱られたりすると猛烈に反発する。こうなるともう手に負えない。または褒めて甘やかして育ててしまったと反省しても飼い犬に手を噛まれる状態で子供のいいなりになってしまっている親も多く見受けられる。子供が親に対して「ちょっと待って」と言うのも命令し主導権を握ろうとしているサインなのだ。



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