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余暇の過ごし方

学校での勉強、家での宿題、睡眠時間、食事をする時間、お風呂に入る時間など絶対に必要なもののほかに、なんでも自由になる時間がある。1日24時間からこれらの時間を引いてみると意外と多いことに気づくはずだ。さらに週末の土、日まで計算に入れるとまだまだ自由になりそうな時間はある。その自由な時間をどのように使っているか、自分で再考して欲しい。

もちろん、ストレス発散や気分転換のためになんでも好きなことをするのが精神的にもいいと思う。しかし、何でも好きなことをする中において自分を成長させることや特技を身につけることに少し方向を変えられないだろうか。ゴルフの石川遼選手や野球の松井秀樹選手たちのように、天才だとか一流だと言われる選手は、そのスポーツだけでなくにそれに関連することを3才前後から始めているという。つまり、一つの頂点を目指すためにすべての自由な時間を使っているのだ。

有意義な余暇の過ごし方にビデオ鑑賞がある。一週間のうちでこれはおもしろいと思う番組をチェックしてそれを録画しておく。科学的なもの、歴史、地理(世界遺産)、生物(動物の番組)、語学(英語に限らなくてもいい)料理番組、クイズ番組でもいいと思う。いちいちノートやペンなどいらない。いるのはコーヒーや紅茶、それにケーキやお茶菓子でいい。自分の心と身体を休めるくらいの気持ちで見ればいい。眠くなったらうとうとしてもいい。無理に覚えなくてもいい。おもしろいなと思ったらメモを取るくらいで後からそれについて調べてもいい。それが2,3時間の楽しみの時間になればいい。あまり堅苦しく難しいことばかりだと絶対に長くは続かない。しかし、それらの中に自分の心に響く言葉や映像が必ず見つかるからおもしろい。

もう一つに瞑想がある。絶対に覚えなければならないことをノートとペンを使わずに頭の中で整理し記憶していく手法である。これは余暇と言うより学習のクールダウンと言うべきだろう。英語でも数学でもなんでもいい。自分がついさっき学習した内容を思い浮かべてみる。それがどこまで修復可能なのか頭の中でイメージをする。おそらく初めのうちはあまり修復できないことに落胆するだろう。しかし、その落胆から学習しているオンタイムの時間が変わってくる。思い出せるような工夫をするようになってくる。「これはきっと忘れる」、または「思い出せないな」という予測ができてくる。そうすると何とか思い出せるように予防策を事前に立てられるようになる。

習い事でもいい。趣味として絵画、スポーツ、楽器演奏、映画鑑賞など自分のスキルを向上させることであれば何でもいい。大切なのはテレビや習い事でも受け身にならないことである。ややもすると、それらは時間とともにどんどん過ぎ去っていくし、気がついてみると何も残っていない。積極的な態度で臨んでこそ、何かが残る。積極的な態度は人に頼らず自分ですることだ。お母さんにビデオを撮っておいてもらったり、料理を作ってもらってばかりでは何も覚えられないのと同じだ。

図書館で気に入った本を借りてくるのもいい。できるだけ、いろいろな種類の本を借りてきて手に取りやすい場所に積んでおく。小説ばかりが読書だと思われがちだが、そんなことはない。ある国に興味があればその国のガイドブックでもいい。マンガの描き方でもいい。図書館にはさまざまな分野の本やビデオ、DVD、CDなどがある。それが無料で借りられるのだからこんなありがたいことはない。借りてきた本をすべて隅から隅まで読むこともない。積んでおけばいい。それを冗談だか分からないが「積ん読」と言うのを小さい頃に聞いたことがある。

「積ん読」方式の余暇の過ごし方が教養を深め、人間の幅を広げてくれる。



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貧困率

貧困率が10月20日、長妻昭厚生労働相から発表された。国民の所得の中央値の半分に満たない世帯を「相対的貧困」と定義し、2006年時点で全国の相対的貧困率は15.7%であることが明らかになった。貧困関係の数値は民主党になって初めて提示された。
 日本の相対的貧困率は経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中4番目の高さで、子供の貧困率は14%、高齢者は21%、ひとり親家庭は59%とすべてOECD平均を大きく上回っている。格差は確実に広がっている。
 日本の貧困率が高い理由は所得の再配分機能が他のOECD諸国に比べて弱いということやパートタイム賃金がフルタイム賃金に比べて安いこと、年功序列賃金が主流だった日本では高齢者が高賃金になりやすい一方、若年層の失業率が高く、賃金も安いため、高齢者が増えればふれるほど格差も広がっている。
 相対的貧困率を下げようという世論の機運はあるだろうし、政府も無駄な公共投資を減らすなどの財源確保を試みているが一朝一夕には行くまい。また政府が国民の民意をまとめ貧困でない家庭が積極的に貧困対策に協力させることができるだろうか?理想は高いが現実の壁もかなり高い。宗教心の希薄な日本には鳩山首相の「友愛」はどこまで浸透するだろうか?

 日本人にはまだ自力で階層間流動を生み出す力がある。勉強すればなりたい職業に就くことも可能だ。公教育も多少の限界はあるだろうが、ある程度の学習水準までやる気次第で習得可能だし、図書館やインターネットも利用すればかなり高度な水準まで行ける。まだまだ本人の努力次第で階層間の流動は可能だ。他力本願ではなく自力でまず動くことが大切だし、時代が動いている今こそ、この機を逸してはいけない。回りが暗いときは足下に気をとられずに、数メートル先をしっかり照らして確実に歩みを進めていくべきだろう。
 進むべき方向はどちらか、どこを照らせばいいか正確で俊敏な判断は毎日を惰性で生きている人間には下せない。自分の幅を広げいろいろな人の話を素直に聞くことのできる柔軟性、その中から自分に適した情報を濾し取れる能力、そして努力を続けることのできる忍耐力が絶対不可欠だろう。

 先月、ミャンマーを訪れた。タイ北部の都市、チェンライからメーサイに入ってミャンマーの街に入国した。入国するとすぐに小さな個室で500バーツ(日本円で1400円程)とパスポートを取られ代わりに入国証明書らしきものをよこされ、ちょっと心配したがそんな心配もすぐに、しつこい物売りから体よく断ることに追われ脳裏から薄らいだ。マーケットで売られている品物も明らかに偽造品であるし、そうでないものにしても品質はかなり悪い。軍事政権になってから民衆の経済状況はかなり悪化しているし、サイクロンの被害も重なって貧困の輪が広がっている。学校に行けず畑で一日中労働する子供も多い。タイの小学校へ行ってタイで生活したい希望もあるがタイ語を満足に話せないとそれも難しいという。

日本の貧困率が高いことで、あたかもそれが大きな問題のようであるが、それは国別に見た相対的な数字で、個人レベルにおいてはやはり他人事なのである。貿易赤字だとか貿易黒字、GDP(国内総生産)、円高、日本の税収入が40兆円を下回るだとか言われても直接、個人にはあまり関係ない。関係あるのは1リットルのガソリンの値段であり、月々の電気代であり、銀行の金利などである。
 日本では、輸送機関の発展やインターネットの普及などで、物のグローバリゼイションは確かに進み、各国の物が簡単に手に入るようになった。食品や機械類、音楽や情報などの流動性はかなり広がった。グローバル化の時代に世界が移行しつつある中、各国の貧困率など関係なく、自由に世界で活躍し自分の中の幸福度を尺度にして生きていくことが人間のグローバリゼイションになる。物から人へ視点を変えていかないといけない。



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友愛の架け橋  Bridge Across Understanding

国語ができるために何が必要なのか2009年8月号バウタイムズで既述した。さらに推し進めて考察していきたい。数学など理科系の科目では、おおざっぱに言えば一つの解答を目指し思考を推し進めていく。しかし、国語や英語といった表現力や理解力を求められる文化系等の科目では一つの解答に縛られず、さらに広い視野に立って考察をしていく必要がある。自分のアクションより相手のリアクションに比重を置かなければならない。つまり、相手の立場になって考えることができるかどうかが問われてくる。
ゆとり教育の弊害は学力の低下だけにとどまらない。その副作用として自己中心的な考え方が親と子供に浸透してしまった。モンスターペアレンツは自分の子供の利権BAUを守るために教師にくってかかったり、無理な注文をつけてくる。子供も自分の分をわきまえずに言いたいこと、やりたいことだけを主張するようになった。勉強が嫌いなら何らかの理由をつけて自分の部屋に引きこもって学校に行かない。自分の将来のことを考えるより今のいやなことから逃げられればそれでいいのだ。

ネパールでは15歳以下の子供の半数以上が労働をしていて学校に行けない。女の子でも重さ50キロにも及ぶ砂を担ぎ、砂の採取場と現場を何往復もする。一回10円程度の賃金で働く。学校へは仕事の昼休みを利用して1時間半程勉強する。ある少女は将来デザイナーになりたいと言って足早に仕事場へ帰っていった。
日本人の多くはは西洋的個人主義が定着していないにもかかわらず、うわべだけを真似て、それを取り入れたと勘違いしてしまった。例えば、アメリカ人は他人が自分のことをどう思うかなんてほとんど気にしないし、自分も他人のことにほとんど干渉しない。本当に好き勝手なことを平気でする。もちろん、他人に迷惑をかけないことは大前提としてだが。

日本人の多くは絶えず回りを意識し、他人から見て自分が変じゃないかとか、自分だけが周囲と違っているんじゃないかと気を遣う。つまり、本能的に回りと調和することを意識してしまう。買い物でも「これが今売れています」とか「人気No1」とかの表記を見ると安心してさらに購買意識を煽られる。納豆や心太、バナナなどがダイエットにいいと聞くと一気にスーパーに押し寄せて売り切れ状態になる。簡単にポピュラライズ(popularize-大衆化)されるのではなく、回りとの調和を求めながら個人の独自性を発揮できる日本的個人主義へと粛々と(厳かにひきしまって)歩んでいきたい。

BAUの名前の由来、それはバウハウス(Bauhaus)1919年にグロビウスがドイツのワイマールに建てたデザイン学校で近代建築運動の一つがここから始まり、絵画、彫刻、デザインにも大きな影響を与えたが、33年、ナチスの圧迫により解散させられた学校の再生。そして、BAUハウスのように、古い考え方に固執せず常に斬新なものの考え方をして時代をリードしていく姿勢を持ちたい。
またBAUはB-Bridge A-Across U-Understanding の頭文字でもある。自分のことだけを考えるのではなく、他人のこと、ひいては他国の人や文化、政治、経済情勢、習慣、宗教さまざまなことを理解し、争いごとのない平和な世界を目指していくという大きな目標を掲げたものだ。しかし、その大きな目標を達成するのはまず個人レベルからスタートしなければならない。日本だけでなく世界のいろいろな国の人と友達になり、国籍を超えて理解し合えることが基本で一番大切なことだ。

鳩山首相が国連本部でこれからの日本は世界の架け橋となりうると明言された。2020年までにCO2削減でも先進国にさきがけて25%の削減を約束した。地球温暖化が急速に進みつつある中、自国の利益のことだけを考えるのではなく、世界各国が地球のことをグローバルの視点で考える時が来ている。



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茶の間文化を見直せ~日本再生の幕開け

明治維新から日本は西欧文明を盛んに取り入れ、追い続けてきた。西洋風の建物、西洋の食文化、ファッション、音楽、美術、医学、教育、経済そして思想、ありとあらゆるものが西欧風になっていった。西欧の文化はすばらしいと次第に多くの日本人がそれに盲従するようになり、それが盲信へと変わっていくのにたいした時間はかからなかった。
西欧文化を学ぶことはいいことだ。しかし、それが自分たちの文化にきちんと合うようなな形で受け入れなければいつかどこかで生態拒否反応がでて危険な状態を招きかねない。日本は明治以来140年以上にわたり、中央集権国家を目指し富国強兵政策をとり官僚主導の下で発展してきた。特に太平洋戦争後からはアメリカの背中だけを見て追従し、アメリカだけに従順に耳を傾けてきた。
日本とアメリカの文化の違いや考え方の違いをあまり考えずにアメリカの文化を鵜呑みにしてきた結果、日本は大きなダメージを受けた。経済的にはアメリカ型の大量生産、大型消費をもとに大型ショッピングセンター、巨大ショッピングモールの出現、その陰で市街地の商店街は衰退した。まるで都市、地方の格差、貧富の格差社会の縮図を見るようだ。

2009年8月30日、ほぼ55年にわたって日本の舵取りをしてきた自民党政権が民主党に政権を明け渡した。多くの国民が変化を望んだ。民主党はアメリカとの外交を重要視しながらもアジア外交を重視していくことを表明している。それに対してアメリカ側では懸念しているが日本が米軍基地問題、アメリカとの軍事協力など大きな路線変更を計る契機になる。
本当にアメリカに盲従していていいのだろうか?結局、アメリカは日本以上に格差社会であるし、それが行き着いた結果がリーマンブラザーズに続くビッグスリーの危機的状況である。景気がいいときはいいだろうが、いったん景気が冷え込むと巨大店舗はダメージが大きい。その点小さい個性的なお店は小回りが利く。生き延びることができる。氷河期を迎え巨大な生物が絶滅していったのと似ている。地球温暖化が進み、二酸化炭素排出が大きな問題となりエコが世界的に注目を浴びてきている現在、日本の伝統的な住居、商店街、教育、食事が見直されていることはもちろん、技術革新の面でも省エネでは世界をリードしている。

日本は技術や科学、医学といった分野の導入を急いだあまり、西洋の文化もまるで切り花のように移植してきてしまった。土壌が違うのだからまず土を馴染ませる必要があった。それを文明開化とか欧米化といって嬉々としていた時代が長く続いた。例えば住宅も西洋風になり、キッチン、ダイニング、リビング、それに個人のベッドルームが造られるようになった。
日本ではリビングやダイニングなどをすべて兼ね備えた茶の間というものがあった。そこでは家族がいつもテレビを見たり、話をしたり、各個人が本や新聞を読んだり、子供が宿題をしたりする公共の場でもあってしかも個人の場にもなった。いつも家族の顔が見えて、具合がいいとか悪いとかもすぐ分かるし、どんな勉強をしているかも見えていた。親戚や近所のつきあいもあからさまに子供に伝わるから自然にいろいろなことが茶の間で学べた。テレビも一台であるから当然、親が主導権を握り子供は否が応でも大人の世界を垣間見た。
ところが、その茶の間文化を西洋風の建物が一掃してしまった。個人主義が成熟していない日本人に与えられた個室はまさに百害あって一利なしのホワイトエレファントになってしまった。「個室(子供部屋)は見た目はいいし使い勝手も良さそうだ。なにしろ、西洋風で個人の自由を重んじているからうちの教育方針は正しいんだ。それに自分のことは自分で責任を持ってやれるようになるし子供のためにもなる」そう思って親はかなり高額なお金を払って立派な家を建てる。それこそ、それが機能して子供がかなりの時間をリビングで過ごし、家族といろいろな話をしてから自分の勉強や睡眠のために自分の部屋に行くならまだ頷ける。

ずいぶん前のことになるが、高校生の時アメリカの高校に留学していたとき自分の部屋を与えられた。英語なんてそんなに簡単に話せるわけもなく、家族で食事をとった後は逃げるように自分の部屋に行きたいと思った。しかし、留学生のルールとして食事の後は必ず食器の洗いの手伝い。学校であったことを何でもいいから家族と話し、宿題があるときもなるべくキッチンやダイニングで家族の見えるところでする。自分から家族の仕事を必ず与えてもらい家族の一員に認めてもらえるように最大限に努力せよ。どこかで偶然、日本人と会ったときでも日本語は禁止、すべて英語で話すことが強制された。もちろん、日本の家族へ電話するなんてことは絶対できなかった。それはすべて家族になるための配慮だった。家賃を払って食費を払うならアパートと同じ。残念ながら今の留学生の多くは、せっかくのホームステイもお金を払ってアパート住まいと同じ暮らしをしている。



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国語の力をつけるには~「学問のすすめ」

国語の勉強のしかたがよく分からないという声が多く聞かれる。国語とはまさしく日本語のことで日本人にとっては母語だ。英語やフランス語といった外国語ならともかく母語である日本語が分からないというのは本末転倒のような気がする。

私たちが思考をする場合、日本語を媒介とする。外国語ができてくると思考回路がその言語になる。考え方や物の見方は言語の背景にある文化や習慣によって変わってくるものだからだ。国語が苦手だという生徒が確かに目立って増えている。それは日常の生活に思考や工夫が不足しがちであることの裏返しでもある。思考や工夫しなくても何の不便なく日常が過ぎていく毎日では思考能力が鈍ってくるのは当然なのかもしれない。携帯電話やインターネットを通じて情報が溢れるように押し寄せてくる現状ではゆっくり考えることは多くの人にとって不要になってしまった。

日常からリアルが失われてバーチャルがどんどん増えてきた。最近のゲームは手にゲーム専用の機器を持ち、ゴルフ、卓球、テニスなどさまざまなスポーツができるという。相手が人間とか自然ではなく機械になってしまった。スポーツはもとより、麻雀でも囲碁、将棋でも相手の心理を読んでの駆け引きがある。表情や会話のなかから鋭敏に察知する能力も身についた。

スポーツやゲームでも勝負は負け方を覚えるのに最適な場だ。どんなに負けていても最後までやり抜かなくてはならないし、途中で逃げるわけにはいかない。勝つ方はいいが優勝する以外、必ずどこかで負ける。正々堂々と負けることを強いられる。しかし、バーチャルのゲームでは負けることを学ばないで済む。実際に相手がいるわけではないので悔しい気持ちやそれを乗り越える精神力も育たない。

最近ではもう「キレる」という言葉も新鮮みを失ったが、それはそういう事件が後を絶たないからだ。自分の思い通りに行かないから相手を殺傷したり、さらに信じられないのは誰でもいいからという無差別的な犯行が連続して起きている。これもゲーム脳に大きく影響されているという。

いろいろなことに興味を持ち、面倒がらずに積極的に自分の足で情報を集め、視座を移し、さまざまの角度から思考することが人間を成長させる。それに連動して国語能力も上がる。つまり、国語力とはその人に内在する総合能力だ。少しばかりうまくいかないことがあっても簡単に挫折することなく全体を見渡し、うまく対処していくことが人間の成長とともに必然的に求められてくる。

リアルとバーチャルの歴然とした乖離が格差にも大きな拍車をかけている。貧しい人はバーチャルで済ませればいい。コンサートに行かずにCDを聞けばいい。実際の場所に行かずともテレビやDVD、インターネットで見ればいい。シェフが料理したものを食べなくてインスタント食品を食べて済ませればいい。本当のレジャー、スポーツなどをしなくてもwiiをしていなさいということだ。

労を惜しまずに努力すれば誰しもが自分の未来が拓ける社会を日本は何年もかけて構築してきた。しかし、日本人が物質的に豊かになるにつれて、その恩恵を自然に風化させ、当然の権利のように漫然と受け流してきてしまった。その結果、物質的豊かさの上に成立していた精神的安定も日本経済の不安定さとともにいとも簡単にその脆弱さも露呈させた。
歴史が大きく動こうとしている今こそ、「学問のすすめ」の意味を再考したい。



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