FC2ブログ

少年よ、大志を抱け

「少年よ、大志を抱け」札幌農学校(現北海道大学)教頭であったアメリカ人ウィリアム・スミス・クラーク博士が教え子との別れに際して述べた言葉だ。クラーク博士はアメリカの教育家で北海道開拓使に招聘されて一八七六年(明治9)年に来日。札幌農学校でのキリスト教信仰に基づく訓育は内村鑑三や新渡戸稲造らの学生に深い感化を及ぼした。

* 内村鑑三 宗教家、評論家。群馬県高崎出身。札幌農学校で学び教会的キリスト教に対して無教会主義を唱えた。教育勅語への敬礼を拒みいわゆる不敬事件を起こし非戦論を唱道した。
* 新渡戸稲造 思想家、教育家。南部藩士(東北地方)の子。札幌農学校卒業後、アメリカ、ドイツに留学。国際平和を主張し国際連盟事務局次長、太平洋問題調査会理事長として活躍。

日本がまだ雑然としていた明治初期のクラーク博士の言葉だが、その時代の若者に一番伝えたかったメッセージだったのだろう。時代が混乱し、何をしていいか分からない、自分の将来も展望も曖昧模糊とした状況の中で若者にとにかく大志を抱けと言いたかったのだと思う。些細なことに捕らわれず大きな視野の中で自分の研究に打ち込み努力しなさい。そうすれば必ずやそこから芽が出て、葉が育ち、大きな樹が育つだろう。
アテネオリンピックでは日本人選手の活躍が目立った。メダルも37個獲得し過去最高の成績を収めた。女子マラソン、柔道、レスリング、水泳、体操など世界的にもトップレベルだと証明し、日本人に大きな自信と誇りを与えてくれた。マスコミもアテネオリンピックに特集を組みさまざまな中継を交え日本の活躍ぶりを報道した。一時の平和が訪れたかのようだった。

しかし、イラクでは毎日のようにテロが起きているし、8月24日にはロシア機が2機墜落し大勢の人が亡くなっている。さらにロシアの地方都市ベスランでお起きた学校占拠テロは350人以上の犠牲者を出した。国内でも沖縄県宜野湾市で起きたアメリカ軍ヘリ墜落事故で米軍は沖縄県警の現場保全や検証の求めに対してわずか10分の写真撮影を許可しただけで県警の捜査員を閉め出したまま機体残骸を撤去した。
全国の公立小中学校の校内暴力は2000年度をピークに減少傾向にあったが昨年度は3年ぶりに増加したことが文部科学省の調査で分かった。特に小学校では前年度比27.7%増の1600件と最悪を記録した。
政府の経済財政諮問会議は国と地方の税財政を見直す三位一体改革に関連して補助金削減案の検討に入った。難しくてよく分からない言い方だが総額3兆2284億円のうちもっとも大きな割合(26.3%)を占めるのが義務教育国庫負担金だ。この結果、地域間格差が生じて機会均等、水準確保、無償制という義務教育の原則が崩れかねなくなる。
世の中にはテレビと同じようにたくさんのチャンネルがある。どのチャンネルを見るかで当然入ってくる情報は制限される。おもしろいものばかりを追ってチャンネルを回していくと、今、現実に起きている危機を認知しないまま世界に置いて行かれる可能性がある。置いて行かれるだけならまだしもいつの間にか自分たちが危機に晒されていることになりかねない。情報があふれんばかりにある現代の生活の中、正確で有益なものを取捨選択するのは大変かもしれないが自衛のためにも自分のアンテナを広げておくべきだろう。江戸時代からの農民の悲劇は無学から始まった。
田舎の野山や川で元気に遊ぶ子どもたちから「自由に学べて平等に競争する権利」を奪ってしまってはクラーク博士もきっと悲しむに違いない。
灯火親しむ頃、図書館や書店で気に入った本を見つけ、おいしいコーヒーと虫の音と一緒に楽しめると
また新しいステキなチャンネルが増えますよ。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

種苗 ~新しいものを創り出す能力~

夏休みに入りBAUでも中3を中心に夏期講習をして1週間になる。この夏休みにいままで不得手であった箇所を確実に得意分野にしてもらいたい。してもらわないと困るのだがそれが案外できないというのも厳しい現実でもある。何度教えてもまた同じタイプの問題でつまずく。それはトランスミッター(変換器)がないからだろう。ある問題に対して作用して解答まで一直線に向かわせる装置、トランスミッターが故障しているのだろう。学習した時はなんとか間に合わせのトランスミッターでなんとかなるがそれが自分のものになっていなければ次にはもう錆びついて使い物にならない。
学習とは問題を理解してその時だけ解答ができればいいのではない。再現性があってさらに創造性が加わって自分のものとなる。自分のトランスミッターが完成する。学習とは問題と解答をつなぐトランスミッターを装備することにほかならない。そのトランスミッターが進化すると模範解答を超えるものとなる。不可能な問題もそのトランスミッターにかけると可能性が見えてくる。それが社会で生きていく本物の武器になる。
トランスミッターを作るにはひらめく瞬間が必要だ。なにかを学ぼうとしている時パッと明るくなる瞬間が来る。もちろん自分で深く考えれば考えただけそのインパクトは強い。自分のトランスミッターになるかどうかはその衝撃の大きさに関係する。だから壁に当たったら考えねばならぬ。悩まなければ壁は越えられぬ。エンジン内の混合気がマックスに達さなければ爆発は決して起きない。完全燃焼しない。
すべては感動から始まる。感動は決して偶然の産物ではない。苦労の結果として感動がある。苦労に苦労を重ねて志望校に合格した生徒と合格発表を見て、ともに涙したことが思い出される。

お腹がすいている人に魚をあげても食べたらおしまい。魚の取り方を教えることが自立への第一歩。りんごを食べたらその時は一時的に満足するかもしれないが何も残らない。りんごの苗を植えないといけない。葡萄も果実よりも苗。苗があってこそ葡萄が育つ。葡萄から作られるワインもケーキも作ることができる。創造の夢は無限に広がる。
ソニーの社長の盛田昭夫氏が単身アメリカに渡り自社のトランジスタラジオを売り込みにいった。当時ソニーはまだ東京通信工業という社名から変わったばかりの社員20名の小さな会社だった。しかし、製品が極めて優れていたためにアメリカの大手電気会社ブローバ社から10万個の注文を取りつけた。しかし、ソニーの名前では売れないからアメリカの会社名で売るという契約だった。そのとき盛田社長が目先の利益に走り、その注文を受けていたなら今のソニーはなかっただろう。アメリカの一子会社に過ぎなかったろう。盛田氏はブローバ社の社長に言った。「50年後はソニーはブローバ社より大きくなっています。」

若者たちよ BAU

若者たちよ
目先の楽しみに走って自分を小さくするな
目先の欲は己の目を曇らせ感性を鈍らせる

若者たちよ
君たち自身が種になり苗になり大きく育ちなさい

若者たちよ
大人たちが嫉妬するほどの活力と冒険心に満ちあふれよ

若者たちよ
君たちに与えられた青春の時は無限ではない

若者たちよ
挑戦する勇気のあるものに不可能はない


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

日本が消えてゆく

昔なつかしい日本の風景がどんどんなくなっている。見ているだけで涼しくなるような小川のせせらぎ、曲がりくねった土の道、ちょっと探せばバッタやカマキリなどすぐに見つかった。少しばかりの小遣いで買える餅菓子ややきそば、ラムネ、ちょっとした遊び道具もところせましと置かれている駄菓子屋も子どもの憩いの場だった。大人の世界とは違う子どもの世界が確実に存在した。それは大人からは侵されない子どものルールにのっとった特別な神聖な領域だった。子どもはその領域から社会をのぞき、少しずつ大人の世界に近づいていった。さまざまな経験を通して子どもなりに衝撃を受けとめ、時には好奇心で目を丸くし、時には傷ついて目をはらしながらゆっくりと確実に成長していった。
最近、凶悪犯罪の低年齢化があまりにも多くてどこのどの事件だか混乱してしまうほどだ。そこで必ず登場するのが携帯電話、メル友、ダウンロード、出会い系、インターネット、チャット、ホームページなどの子どもの世界とは考えにくいものばかりだ。さらに24時間営業のファミリーレストランやコンビニの存在も大きい。大人でもうっかりすると危険な領域になりかねない世界に子どもが全くの無知、無防備な状態で飛び込んでいく。子どもの顔はしていても心はもう十分に侵されているのではないだろうか。
1.29。ご周知の通り現在の日本の出生率だ。年金問題ももちろん日本人にとって大きな問題であるが、そもそも日本人がどんどん減っているということに根源がある。おそらく日本もアメリカと同じように移民を受け入れざるをえなくなり国籍不明の多民族国家の道を辿るのだろう。何年か後には本当の日本人がいなくなり日本人保存会みたいなものができるかもしれない。日本語も不十分な小学校低学年のうちから英語、英語とさわがれているとどうしてもコロニーイングリッシュを想像してしまう。「言語の滅びるところ民族も滅びる」アイヌ人の言葉だ。もっと日本語を大切にして日本の文化に誇りを持っていくような方向に進めないのだろうか。英語教育もただ低年齢化すればいいという単純な発想にしないで現行の教育法を考え直した方がいいと思う。
今、中学校では英語や数学などの教科で習熟度別のクラス分けをして授業をしていくことが多くなった。確かにその方が授業の進行はスムーズになり教師の方はやりやすいだろう。

多くの進学塾や予備校でもAクラスやSクラスといった能力編成をしている。いつからすべてが能力主義、結果主義になってしまったのか。その結果、他の教科もすべて能力別になりはしないだろうか。個性豊かな人格を育てるといいながらそれぞれの部屋に入れてクラスを分けていくやりかたはりんごやみかんの選別に思えてしかたがない。
得意、不得意があるからおもしろいしそれが人間らしさではないだろうか。先にできた生徒がちょっと遅れた生徒を助ける。同級生だけでなく先輩も後輩に教える。そこに人間関係が生まれコミュニケーションがとられる。将来につながる豊かな人間関係が構築されるのではないだろうか。思いやりの気持ちや連帯感を育み、生徒の人間関係も案外簡単に見て取れる。陰険ないじめの第一歩も打ち消すことができる。教師ひとりの力でクラス全体を支えるのは無理だ。クラスの雰囲気をよくしてみんなの連係プレーでクラスを運営していかねばならない。それが日本のやり方だと思う。
目先の欲、結果に捕らわれて安易な道を選ぶのは危険だ。能力別クラス編成の学校より通常クラスの学校の方がいい成績がとれたというおもしろい結果が出た。時には真剣なまなざしで考え、時には笑えることができたりするライブハウスやミュージカルのような授業がいきいきとしていて魅力的なのだ。
沖縄県石垣島出身のビギンというグループがいる。「涙そうそう」という曲(作詞は森山良子)を作り夏川りみという女性歌手が歌っている。沖縄の島歌をイメージして作曲したそうだ。彼らの歌う歌にはどこかなつかしい、そして失いつつある日本のよさが響き渡る。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

旅人の服を脱がせたのは

人が何かにかかわるとき、そしてそれにある種の情熱があるときこだわりが生まれる。すべてのことに情熱を持って取り組むのは相当のエネルギーが必要だろうしかなり無理な話かもしれない。一つ二つなら情熱を持ってこだわっているものがあると思う。それがプロ、セミプロレベルでなくても一向に構わない。スポーツでもいいし、釣りや山登りのようなアウトドアでも、囲碁、将棋、短歌、俳句。ガーデニング、お菓子作り、ボランティア活動、写真、絵画、バードウォッチング、旅行、外国語とジャンルは無限に広がる。
そのこだわりを通して人とうまく交流していくことができる。だから子供の喜びそうなことにばかり目を向けないで自分のこだわりの部分で子供と接したらいいと思う。こだわりがある分、当然専門的になってくるだろうし厳しくもなってくる。その分野に関しては絶対に譲れないところがあるからだ。絶対に譲れないということがとても大切なのだ。子供のわがままを黙殺し親としての威厳を保ち、そこでは勝てないと子供にあきらめさせることができる。子供に端から負けている親が多い。携帯が欲しいといえば買い与え、テレビのチャンネル権は奪われ、最後には親の言うことを聞かなくなって困ったと言う。親の全面降伏となってしまう。
自分がこだわっているところで子供と時間や空間を共有してみることに大いに意義があると思う。普段と違った親の姿を見ることになる。それが大切な躾にもなるし、子供の成長における不可欠な要素なのだ。子供と関わっていくときに厳しさと優しさのバランスを大切にしてほしい。例えば、スポーツを一生懸命したあとで「今日は、すごいよくできたな。何かうまいもの食っていこう。」一声かかると信頼感が強まる。信頼感とは手間のかかるものだ。信頼感の上に躾や教育は成立するものです。こどもを育てるには心から叱れないとだめだし、叱ることができるためにはそれだけの信頼感がいるのです。

親の姿を見て子供は育つものだ。
子供に情熱が伝えられれば自然と集中力や注意力もついてくる。他人に認めてもらうためには何か取っ掛かりが必要で案外それは親のこだわりに大きくかかわることが多いのだ。一つの成功体験の後、次の成功体験を期待するようにそれは連鎖反応を起こす。実際、何かに秀でている人は違う分野でも驚くべき成績を収めることが多い。
バウで父兄面談をすると「先生、うちの子は家で全然勉強しないんです。どうしたらいいんでしょう。」という悩みというか相談を受けることがある。しかし、それはもしかするとほんの一部分で他のこともできていないのではないでしょうか。朝、きちんと自分で起きられるのでしょうか。食べたものはきちんと片付けて洗えるのでしょうか。洗濯してもらったものは自分でしまっているのでしょうか。家族の中の仕事はきちんとできているのでしょうか。それから自分のこと。学校の提出物や宿題はきちんとできているかが問われてしかるべきだと思います。他のことが満足にできていないのに勉強が満足にできるほうが不思議です。勉強の心配をする前に何かひとつでもいいからこだわりを持って子供に接してみるといいと思います。案外「勉強しなさい。」一点張りよりも「お風呂の掃除しなさい。」のほうが逆に勉強に向かわせることができるのではないでしょうか。手間がかからないからといって直接的に説得しようとしても無駄です。手間がかかりますが別の角度から自主的に自分のことができるようにするほうがオールマイティーに通じる能力が身につくのではないでしょうか。旅人の服を脱がせたのは北風ではなく太陽だったのです。

* 一学期の期末試験までいよいよ2週間です。科目も9科目に及びます。万全の準備をして臨みましょう。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

ソメイヨシノ

ゆとり教育の失敗をとうとう文部科学省が事実上認めた。崩壊してしまった小中学校の授業体系は簡単には改善されないだろう。崩壊してしまったのは学校だけではない。同時に家庭も地域社会もさらには日本の政治経済も国際社会も崩れ始めている。まるでダムの一カ所にひびが入りそれがどんどん周り全体に広がっていくようだ。一つがゆるむと次第に全体に波及していく。
最近では回転ドアに子どもが挟まれて死亡するという痛ましい事故があった。公園でも遊具で子どもが指を切断する事故もあった。回転ドアにも公園の遊具にも何らかの原因があるだろうがその前に母親や父親がきちんとそれらの危険性を子どもたちに教え認識させておかなかったのだろうか。子どもに対する親の責任が十分果たせているのだろうか。病院の待合室や静かに食事をいただくべきレストランなどで異様なほどにぎやかにしている子どもを放置している母親が多くなった。公園でも母親同士で話に夢中になって子どもから気持ちが離れていることも多い。
桜の木は通常ソメイヨシノといわれるがこれは江戸彼岸と大島桜の雑種で花が葉に先立って咲き、明治初年東京染井村の植木屋が売り出したことで知られている。もう一つの特徴としてはソメイヨシノは種子からは育たず接ぎ木からしか増やすことができない。成長は早いが寿命が短いといわれている。現在、日本全国のソメイヨシノの70%以上が衰弱し枯れかかっているといわれている。
これは日本の風俗文化の西欧化と似ているように思える。明治維新以来一途に西欧の文化、技術を取り入れようと務め,とりあえずその成果は高度経済成長とともに開花した。しかし、それは日本の文化の上に接ぎ木されたものだから成長は早いが短命であったのかもしれない。ここにきてソメイヨシノとともに接ぎ木社会は限界に来た。アメリカから与えられた憲法も、年金も、教育制度も、諸々の点で寿命が来ている。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉に反して青森県は桜の木を剪定してきたのだそうだ。りんごの木を切る技術を桜の木にも応用し、思い切って桜の木の枝を切った。さらに根の部分まで掘り起こして腐りかけた部分を丁寧に削り健康な根だけを生かした。その結果、青森県のソメイヨシノは樹齢100年を優に超えるものが数多くある。今多くの県が青森県の林野庁に応援を求めている。
日本の社会も今大胆に剪定をしなければならないラストチャンスを迎えている。ゆとり教育も個性重視をうたいながら野放図に容認してきた。実際に伸びたのは責任のない自由な精神で今度はそのつけを自分で払ってくださいとばかり「自己責任」という言葉が大手を振りだした。行き詰まった日本経済や政治不信、若い人たちに暗い未来を残すことは許されない。

古来,日本はジパング(マルコ=ポーロの東方見聞録で中国の東1500浬の海中に存在する黄金の島として紹介された)といわれ文化の終着点で最高の融合を見せ、世界有数の独自の文化発展を遂げた。そのためには西洋からシルクロードを通じ悠久の時間とともにすこしずつ文化が融合した。西洋の狩猟民族文化も東洋の農耕民族文化に昇華された。
先日の「題名のない音楽会」でイギリスのロックグループ、クイーンズの名曲「WE WILL ROCK YOU」は典型的な狩猟民族のリズムで狩猟に出かける時に槍を天に向かって突き上げるリズムだと紹介されていた。それをテンポを少しずらすだけでなんと農耕民族の手拍子のリズムに変わるのだ。
食生活も着るものも確実に西欧化したがそれでは表面的な変身に過ぎない。心も入れ替えるくらいの変心がなくては独自のものとは言えないだろう。人間は成長するために自分を変心させてくれる人やできことに遭うのではないだろうか。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

伸びる秘訣

伸びる秘訣とはなんだろう。そんなことが分かれば苦労しないと思うかもしれない。しかし,自分では無意識のうちに分かっているんではないだろうか。何かの分野で人より秀でることは他人より多くの時間を割き,没頭することだろう。つまり「好きこそものの上手なれ」だ。自分の関わっているスポーツでもやらなければならない学問の科目でも好きなものなら人から強制されることなく自然と身体が向くだろう。

問題はなぜ嫌いになったかだ。それにはいくつかの原因が考えられるがその主たるものは指導者にある。なぜなら指導者はその道の専門家だ。専門家は入門者をある程度までは導いて行かなくてはならない。とりわけ子どもの時はなおさら影響が大きい。自分の前に立つ指導者がその道の窓口でありすべてだからだ。これには多少運命的な出会いがある。しかし,何かを始めるには師を三年かけて選べとも言われるようにそれは肝心なことだ。
本当に実力のある指導者は自分が携わる人をその道で嫌いにさせないことだ。好きになってくれることが望ましいが最低限嫌いにさせるのはいけない。
「運命の中に偶然はない。人間はある運命に出会う前に必ず自分でそれをつくっている。」TWウィルソンの言葉だ。

たとえば「数学が嫌いだ」または「嫌いになりそうだ」と思ったら専門家(BAUでは沼田先生)のところに行くべきだ。「このままだと数学が嫌いになりそうです。」そう言って相談すればいい。突然,できなかった問題がすらすらできるようになることは不可能だろう。しかし,そこは専門家。手を変え品を変えいつの間にか嫌いになりかかった状態を改善してあげなければならない。可能性という芽を摘んではいけない。
もちろんすべて他人のせいにしてはいけないし,自分でなんとかする態度も忘れてはいけない。歴史が好きでないなら漫画日本史でもいい。理科が嫌いなら地球不思議発見の番組を見てもいい。自分が拒否反応を起こさないところまで距離を置いて少しでも好きになる努力を惜しんではいけない。

嫌いにさせてしまう原因の一つに失敗体験がある。なかなかうまくいかない。やってみたけどなかなか結果が出ない。それを見てイライラしてつい他者が口を挟んでしまうことがある。それは一生懸命走ってゴールしたランナーに向かって罵声を浴びせるようなものだ。たとえ親でも絶対してはならない。いい結果が出ない時に一番傷ついているのは当の本人だからだ。テストであまりいい結果が出ない時もあるだろう。そういう時に落胆した顔は見せないで欲しい。落胆したり不用意に叱ったりするのは愚の骨頂たるもの。無駄なマイナスのプレッシャーを与えるだけだ。是非「勇気」というプラスのエネルギーを与えて欲しい。

フジ子ヘミングがインタビューの中で語っていた。「人間嫌いなことはしないでしょ。私はピアノを弾くのが好きなのよ。何万人の前で弾くよりも夜,ひとりで猫や鳩の前で弾く方が好きなのよ。」
なんという強烈な個性の持ち主だろう。幼少の頃から天才ピアニストと言われ少女時代にレナード=バーンスタインに認められるが持病で耳が聞こえなくなるという不遇に見舞われる。そして夢をあきらめきれず40年間苦労しながらピアノに携わってきた。そしてとうとう彼女は晩年を迎えながらも奇跡のピアニストとして時代の寵児になった。彼女は続けた。「人間はね。死ぬまでがんばり続けないといけないよ。生きているうちにやったことはね,死んでもちゃんと持っていけるの。絶対にね。」
好きな仕事だからこそ生まれた「最高の奇跡」なのだろう。

自分の才能を見つけ,それを世の中のために生かす喜び。それが人生の喜びであり人生の意味だ。自分の才能を見つけることを面倒くさがったり,手を抜いたりするのは自分の人生をつまらなくしていることと同じだ。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

食生活と環境

狂牛病、鳥インフルエンザ、SARS さらには豚にも被害が及ぼうとしている。魚は何も言われていないが日本近海の魚はほぼ全滅に近い。高崎あたりの上流域の魚も食べる人はあま外国に行って驚くことだがかなりの人が肥満である。外国といってもいわゆる先進国でアメリカ合衆国、欧米諸国、オーストラリアだ。日本人もだいぶ肥満が社会問題になってきているがそれらの国に較べればまだいいほうだ。それには日本の食生活の幅が広いことが大いに貢献していると思う。確かに若い世代は食文化がかなり欧米化した。しかし、年齢があがるにつれて次第に日本食に傾倒していく。脂っこいものからだんだんとさっぱりしたものが好まれるようになる。高齢者を較べれば先進国の中で日本人は断然スタイルやボディバランスがいい。
しかし、問題は人間の体型だけではすまされない。日本の食糧自給率はなんと28%、世界第128位。年間約4兆円の世界第1位の食糧輸入国なのである。普段食べているもののほとんどが外国産、日本人の食生活に欠かせない大豆などは100%輸入に依存している。他の先進国は自給率が100%を超えておりつまり自分の食べるものは自分でまかなえると言うことだ。この状態は深刻だ。万一、諸外国からの輸入が滞ったら日本は一気に兵糧攻めにあうことになる。戦争。天災。この度のBSE問題。鳥インフルエンザ。実際、アメリカからの牛肉が日本に入ってこないだけで牛丼屋が牛丼を販売できなくなった。問題は牛丼が食べられなくなったことより日本の食糧事情がそれほど危機的な状況なんだということに焦点を当てるべきなのにバカなマスコミたちは連日牛丼が食べられなくなって寂しいだとかくだらないことばかり報じている。マグロにしても味噌、醤油にしても納豆にしてもエビにしてもわれわれの口に入らないことが起こりうるということなのだ。
食糧の流れはカネの流れに乗っている。貧しい人に肥満な人はいない。おいしいものをカネを出して食べきえれないほど食べ、必要以上に食べて肥満症に悩むことになる。また貧しい国に拒食症の人もいない。まさに自殺行為だ。つまり世界の食糧のアンバランスは世界の貧富の差の所産なのだ。8億人の人が飢餓で苦しんでいる。
カネになるから牛や豚、とりをどんどん飼育する。早く売りたいから化学飼料をどんどん食わせ、薬物漬けの肉を売る。さらにクローンや遺伝子組み換えによって見た目のいいものを作り出している。その報復だろうか?りいないだろう。

日本人が食べている魚のなんと80%が輸入に依存しているのだ。日本人にエビを売るためにタイでは自国のマングローブの森を乱伐までしている。
日本人ばかりを責めるわけにはいかないだろうが現代人は実際の戦争の悲惨さを嘆くと同時にその原因となる貧富の差を自ら作り出していることにも気づくべきなのかもしれない。コンビニではおにぎりやお弁当などの食料品の賞味期限時間が来るとそのまま廃棄、ファーストフード店でも同様。バイキング方式のレストランもあらかじめ食べ残しを計算して利益を算出している。利益のためには世界の食糧危機などかまっていられないのだろう。
健康ブームに乗って日本食が見直されている。スシ、トーフなどはすでに日本発の外国語になっている。食べ物を無駄にしない日本独特の精進料理など日本の文化とともに世界に紹介してみてはどうだろう。日本で開催される国際会議で各国の要人に食させてみる。そしてその中に含まれる日本人のこころを理解してもらえれば世界の食糧バランスに貢献できるのではないだろうか。
まず家庭から子どもの食事バランス、健康面を考えて頂き子どもたちの精神面を支えて下さい。中学生は難しい時期です。自我が芽生えはじめ、それとともに反抗期にも入ります。親に触れてほしくない部分が劇的に生まれます。成績のこと。友達のこと。いわゆるプライバシーに関することは逆鱗に触れるがごとく扱わなければなりません。ちょっとそっとしておく時間も必要です。食事を通して変わり行く子どもの環境を見まもって下さい。
医食同源、食をもう一度見つめ直してみてはいかがでしょう。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

勇気 ~新しい自分の発見~

人が勇気を持ってことにあたることができるために本来教育はあるべきだろう。人生はもちろん苦もあるし楽もある。自分のこどもを一人前に育て上げることが生物としても要求される。アザラシもヤマネもチーターも自分のこどもをしっかり教育し自立へと導く。親と決別する日を前提として子供を育てている。動物は本能で子育てをしているからそれほど子育てに苦心をしてはいないだろうが人間は本能だけで子育てをするわけではないからどうしてもさまざまな問題が生じる。
さらに最近、マスコミに多く取り上げられ幼児虐待、少年少女に対する親からの虐待が注目を集めている。マスコミがスポットライトを当てるところに世間の関心が集まるのはある程度計算されていて利点も弊害もあるだろうが、この種の弊害は案外性質が悪い。人々にかなり強い先入観を植えつけそれが固定観念となる。それだけ強い影響力を与えながらもマスコミという情報機関はかなり無責任なところもある。つまり報道の仕方が視聴率、購買数に左右され一方的になりがちで視聴者、読者の判断力を鈍らせてしまう。視聴率が数%違うだけで数億円の利害が生じる現実がある。
政治家を批判するにしてもマスコミの一斉攻撃、自業自得の部分もあるだろうが見ていてもやりすぎではないかと思われる。そんなやり方を見せられていれば人をいじめることがぜんぜん悪いことではないと思うのも無理はないのかもしれない。
こどもを育てるには躾もしなければならないし、こどもが泣けば虐待と言われるし、その狭間で迷っているうちになにもできないまま時間ばかりがたってしまいます。親がまず愛情と勇気を持ってこどもと立ち向かえば子供も理解し成長していくと思う。こどもはとても敏感で感受性が強く影響を受けやすい時期でもある。親や周りの環境をその良し悪しの判断を下さずにストレートに受け入れてしまいます。まるで大人がマスコミを鵜呑みにしてしまうように。

これは無理かもしれないと思うこともタイミングを見計らって勇気を持って挑戦させてみる。そのためには十分なコミュニケーションが必要だろうし手間もかかる。しかし、その挑戦を成功させるためには絶対必要な手間だ。その連続が子育てじゃないかと思う。できなかったことができるようになった、無理だと思ったことがやればできた。その瞬間のこどもの自信に満ちた顔がなんとたくましく美しいことか。生きる喜びを感じる瞬間だろう。
その喜びは勇気なくしては決して得ることのできない喜びだろう。
機会があってオーストラリアに旅をした。高校生がひとり同行することになった。学業も優秀で海外経験もある。しかし、自分から外国に飛び込んでいく勇気が足りなかった。外国人に話しかけ語り合う勇気が足りなかった。数日たって「自分でアンケートを作って50人にインタビューしてきなさい。」そう言って部屋を出てしまった。できるかどうかわからなかった。きっとなんとかする。そう信じながら何も手助けせずに彼を待った。数時間後待ち合わせの場所にいくぶん顔を紅潮させた彼の姿を見た。手には自分で作ったアンケート用紙を持っていた。すでに30人くらいにインタビューをしたらしい。日本のこと、日本人のこと今回のイラク自衛隊派兵のこと。自分の言葉で背伸びせずに真摯な態度でインタビューできたようだ。彼のインタビュー用紙に書かれた外国人の文字が優しく丁寧だった。
勇気を持って飛び込んでいけば必ず何か帰ってくる。まずアクションを起こす勇気を彼は学んだ。あっという間に彼のインタビューは50人を超えた。そればかりではない。同学年のオーストラリアの男子学生やその他幅広く多くの人とメールアドレスを交換し合うことができた。彼のネットワークが世界に広がった。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

若者に贈る言葉

野坂 昭如
今の若者は何をやっていいのか分からなくなっている。いや、いつの時代でも同じことなのかもしれないが、錯誤にふみこむだけの意気もなければ自分たちをとりまく敵を見すえるだけの動物的感覚さえ鈍っている。
現代ほど若者が失語症に陥っている時代はかつてなかったろう。若い者どうしの会話を聞いていてもおよそ語彙が貧しい、しゃべり方が下手、議論しているように見えてたちまち妥協が成立、あるいは枝葉末節にこだわり続け本筋を失ってしまう。
あらゆる青春というものは自分を焼け跡というか荒野におくことではないだろうか。その時代、環境の中にいかにして自分の荒野を見つけ挑戦していくかということが青春の課題として与えられている。
青春をある連続した長い時間と見るのは間違っているのかもしれない。あらゆる人間にとって青春はほんの瞬間おとずれるものではないか。その実態はごく短い時間のうちに姿を見せ、すぐに消え去り、その残像を胸にあたためて、またある時間を過ごすのではないだろうか。
若者は荒削りで未熟で、不器用だからこそぶつかりあい傷つけあう。そしてお互いの傷をいやしながら成長していく。
中・高校生こそ、今目覚めるべきだ。彼らを待ち受けている世の中がどんなものなのか、幼くて動物的感覚を残しているだけに、その眼で見れば見えるのではないか。どんな動物だって不当に殺されようとすれば逃げるか死にものぐるいの抵抗をする。
死を身近に引きつけてこそ、生についての確かめもあざやかな色合いを帯びる。日本はいろいろなものをただ目先の利にとらわれて棄ててきたがそのあげく死の概念、怯えを失ってしまった。

亀井 勝一郎
これまで両親や師や知人から導かれるままに歩んできたが今度は自ら道を求めて行かなくてはならない。自己の未来、自己の生き方についてはいかなる名著にも書いてない。両親も師も無力である。自分で一歩一歩を生きてみなければならない。
青春はさまざまの可能性を含む混沌のいのちである。何になるか分からない。何かになれそうな気がする。さまざまな夢を抱きロマンチックになるのは誰にも共通した点だ。青春の夢は大切だが夢を少しでも実現させるためにはどれだけの努力と苦痛が必要か不幸にして若者は知らない。
あらゆる意味で苦労を避けて通ろうとすることは卑怯なことだ。青春は甘やかせるべきものではない。自分で自分を甘やかしてはならない。自由とは峻烈なものだ。厳しさの欠如、これが後になって致命傷になる。

利根川 進
人間は環境にものすごく影響される動物だ
親が充実した人生を送っていれば子どもはそれを見て育つ。
目標に向かって努力していとき、人間は幸福になる

カルロス・ゴーン
なによりも目的を持ちやる気をしっかりと持てば成功する確率は高くなる
困難に直面してもあきらめないことが大切だ
困難とは避けるものではなく解決するものだ
問題を解決するにはまずその本質を理解するために十分な時間と労力をかけることだ
それからすべてが始まる 未知の世界に飛び込んでいけば運命は変えられるのだという信念を持ち自分が今まで知っていたことのすべてを捨てて冒険に出ました。未知の世界に対する夢と自分自身の力を信じて。
自らの価値観を保ちつつ、どのように自分とは異なる文化の人たちと交流し、違いから何を学び成長することができるのか、それこそがグローバル化の時代を生きる私たちの大きな課題であり必要とされている人物像だ
変化こそがチャンスの時
日本の常識にとらわれるな
安定があると思うのは幻想。変化を前向きにとらえろ

BAU
青春時代の時間は金の砂時計、一粒一粒がきらきら輝いている
冒険の旅のなかでこそ新しい自分を発見できる
笑顔で毎日を生き抜くユーモア感覚を磨け
好きなことをして生きるために努力せよ
信念を失ったときプライドも失われる
欲は身を滅ぼす
充実した一年を送れるように、がんばりましょう


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

アメリカを追いかける日本

泥沼化するイラク情勢の中、日本は年内に自衛隊を派遣することが難しくなってきた。イラク戦争支持や復興支援(イラク派兵と総額50億ドルの資金協力)を通じ、日米同盟の強化をはかってきたが派遣候補地のイラク南部サマワに近いナシリアでイタリア警察軍駐屯地に対する自爆攻撃が起き多数の死傷者がでた。万一日本の自衛隊がテロの巻き込まれ犠牲者を出す事態となれば今回の選挙で民主党がかなり優勢な結果を出したこともあって政権への打撃は致命傷になりかねない。国民世論の理解を得ることも次第に困難になりつつある。しかし事実上の対米公約として日本がめざしてきた自衛隊年内派遣ができないとなるとアメリカとの同盟の信頼関係が損なわれる。日本(小泉)がアメリカ(ブッシュ)を裏切ったとなるとただでは済まないのだ。ブッシュが自分の政権を維持するためにはなんとしてもイラク戦争を聖戦として成功裡のうちに世界の支持、最低限アメリカ国民の支持を取りつけなければならない。そのためには日本の自衛隊派兵と復興支援は絶対条件となる。それならば自民党(小泉)を生かしておかなければならない。総選挙前に日本の株価が上がり景気が上向いたように見せたのもブッシュの力なのかと疑ってしまう。そんな中アルカイダが日本軍がイラクに一歩でも踏み入れたら東京をテロ攻撃すると予告した。テロに屈してはならないといきまいている人もいるがわざわざテロを引き起こすような軍事行動はどう考えても得策ではない。国益に反する。外務省も首相官邸側も外交政策において地に足がついていない状態だ。イギリスではブッシュ、ブレアーに反対する15万人のデモが起きた。日本ももう少し心ある政治家やマスコミがイラク問題について取り上げてみるべきだろう。
アメリカの辿ってきた足跡を見てみよう。アメリカのさまざまな空洞化は1970年代に始まったと言われている。フェミニズムの影響と消費経済の拡大を背景に女性の社会進出が進んだ。男性の就業時間も増大した。これらの影響が相まって離婚などの家庭崩壊は当然のこと、家庭内暴力(DV)幼児虐待、登校拒否、学習障害(LD)、麻薬中毒、アルコール依存症などが噴出した。アメリカの精神医学業界は訳が分からない原因の障害や病名をでっち上げそれを簡単にしかも金銭を設けるために精神病院に送ったり高額な精神剤を年端もいかぬ児童に投与した。最終的に400万人もの児童が薬物治療を受けた。
家庭の空洞化に並行して進んだのがコミュニティーの衰退だった。コミュニティーがしっかりしていれば子どもの監督を地域の人々に安心して委ねることもできるし、子どもを見守るセイフティーネットの役割を果たす。さらに学校の荒廃が進んだ。

社会も父兄もマスコミも学校に「解放(リバレーション)的な、カリキュラム」を要求し学校側は十分効果を上げていた従来のカリキュラムを捨てその場の思いつき程度のカリキュラムに乗り換えていった。アメリカの公立高校では宿題もほとんどでないし教科書を家に持って帰る生徒はほとんどいない。教科書も5年くらいの期間学校から貸し出されるというもの。数学でも物理でも計算機持ち込みでテスト、さらにテストには解き方のフォーミュラ(公式)まで書いてある。アメリカ史やアメリカ政治、社会学などはテストというよりクイズに近い形で出題される。
1980年代にはいると「解放」された子どもたちのアルバイトが急増する。アルバイトに対しては当初、未成年が大人の社会に接し成長する機会を与えるという考えのもと容認されてきた。しかし、未成年者が入った職場はマクドナルドに代表されるフランチャイズ式のサービス産業だった。そこには学校教育を犠牲にしてまで得られる貴重な経験はなかった。創意工夫のないマニュアルに支配されいくらかの時給で単に金を得るためのものだった。学校教育の質の低下、アルバイトで学習時間がほとんどなくなり親の子どもに対する監督の緩み、コミュニティーの衰退などが相まってアメリカの教育は地に落ちた。
女性解放とともに家庭の空洞化が進み子どもにはゲームやテレビを与えて他者とのコミュニケーションを阻害し自己中心的な性格を助長した。ゲームやテレビは思考能力の低下をもたらし消費社会の奴隷の予備軍を大量生産した。自分が肥満になったのはファーストフードのせいだとか自分が火傷したのはマクドナルドのコーヒーの温度が熱すぎたからだからだと言って訴訟を起こす。友人の家に招かれて階段で転び怪我をしても滑り止めがなかっただとか濡れていたからだとか十分に雪かきができていなかったからだという。だから雪の日はみな朝から自分で雪かきしたり、バイトを頼んで雪をかいてもらう。
アメリカの求めた「解放」、それに続いた日本の「ゆとり」。教育状況、社会状況がタイムラグはあるがシンクロしている。
イラク北部のティクリート付近で29日午前、四輪駆動車で移動中の奥克彦・在英大使館参事官(45)、井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官(30)、イラク人運転手が何者かに襲撃され、殺害された。3月のイラク戦争開始以降、日本人の死者が出たのは初めて。福田官房長官は「テロの可能性が強い」との見方を示した。小泉首相は、自衛隊や文民のイラク派遣を目指す方針に変わりがないことを強調した。自衛隊がイラクに一歩でも踏み込んだら東京を攻撃するとアルカイダが声明文を発表している。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターが同時多発テロで破壊された。東京都庁が破壊されることのないように願う。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

現実を見て将来を語ろう

11月9日に衆議院選挙が行われる。中学生はもとより高校生にいたっても政治には関心が薄い。自分たちに選挙権がなくてももうすこし普段からニュースを見たりしていれば興味深く見られるのにと思う。この機会に各政党のマニフェスト(政党公約)を見たり候補者の考えを聞いたり親と話し合ったりして欲しい。イラク派兵問題、年金問題、郵政民営化、道路公団民営化、教育問題。それらが自分たちの生活にどう影響してくるのか自分で考えることが大切だ。実際投票率が一番低いのが20代だそうだ。自分との生活に関わりがなくどうでもいいやと思っていることと政治に対する無知が原因だろう。若者を対象とした政党公約がきわめて少ないのも投票率が低いのを考慮に入れれば至極当然なことだろう。学校が踏み込んで政治のことを教えないのだから周りの大人がいろいろな情報を与えてあげるべきだろう。
子どもの関心がゲームや携帯、テレビに集中しがちなのも他にもっと楽しいことがないからだろう。ゲームや携帯、テレビ以外に夢中になることがないのは寂しいことだ。世の中にはもっともっとクリエイティブ(創造的)でおもしろいものがたくさんある。スポーツでもいいし、音楽、絵画、写真、短歌、俳句、囲碁、将棋、模型作り、作詞作曲。いろいろなことに挑戦し自分の可能性を発見して欲しい。青春時代をゲームや携帯、テレビだけで埋め尽くすのは寂しい。あまりにも悲しすぎる。
常に携帯電話が身近にないと落ち着かずいらいらしてくる現象を「ケイチュー」と呼ぶのだそうだ。もちろん携帯電話中毒の略だ。使い方によってはとても便利だろうがともすれば非常に危険な温床になる。いつでも簡単に友達や他人とコミュニケーションできる生活が当たり前になって自分が孤独になる時間もなくなってしまった。内省して自分を見つめ成長する機会を失った。家族の人や友達といろいろなことについて話す手間も面倒になる。自分の考えに合わないとキレたり最近では18歳の男子大学生が母親を刺殺し16歳の交際していた女子学生とお互いの家族全員を殺害するつもりだったと報じられている。どうもよく分からない。動機が理解できない。最近は理解できない事件が多発している。すなわち理解できない人間が急増しているのだろう。

2学期の中間テストも終わり結果が出てきた。生徒一人一人がある程度の全力を尽くしてくれたと思う。もし結果に不満が残るのならまだまだやるべきことがあったのだろう。手を抜いた分だけの不満が残る。ところで結果を見てみると驚いた。学力上位の生徒と下位の生徒の差が歴然としてきている。小学校の基礎学力の差や中学での勉強の取り組み方の差なのだろうが学生時代から勝ち組負け組が顕著になってきている。今の大人の社会がそのまま子どもの世界に反映している。さらに恐ろしいのはその勝ち組負け組が将来死ぬまで続く可能性が極めて高いということだ。アメリカ社会を見れば分かるように成功することがなかなか難しいのだ。だからこそアメリカンドリームなんて言葉がある。今までの社会では身体を使って一生懸命働けば平均的なサラリーマンよりも多額の収入を得ることも可能だった。しかし今はそういう仕事状況は急速に悪化しているという。大人でも子どもでも弱いものは徹底的にいじめられる。最近、名古屋で宅配便業者のビルがガソリンをまかれて爆破される事件があった。かなりの高収入をうたいながらも実際はその4分の1以下の収入だったらしい。
「痛みに耐えてくれ」と日本の首相は呼びかける。負け組を整理し処分するからもうちょっと辛抱してくれと勝ち組の人に言っているように聞こえるが・・・弱い企業には貸し渋り、貸し剥がし。強い企業には思いっきり税金投入。イラク派兵も将来の徴兵制につながらなければいいと思う。戦地に行きたがる人は少ないだろうから。特措法を通した人たちがまずイラクに行ってみたらいいと思う。年間35000人以上の人が自殺している。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

優先順位を考える

子どもにとって優先順位を決めてみてはどうだろう。子どもにすべての優先順位を任せてしまえば当然好きなことをどんどんするだろう。それがゲームだろうがテレビだろうがメールを一生懸命送ることになっていくだろう。自ら進んで家の手伝いや勉強などする子どもなど滅多にいない。優先順位を曖昧にしておくから後で親が順位を逆転しようとすると子どもから「うるさいな!」と逆に文句を言われてしまう始末だ。今、何を一番しなくてはいけないことか。子どもは確かに好奇心がありいろいろなものに興味を持つだろう。しかし、優先順位をその場で決める決断力がなければ選択の幅が多岐にわたり迷い正確な判断ができなくなる。来週から定期試験があるという時期になったら自ずから緊張感を持ちいままで呑気にしていた時間を勉強に充てる。そういう切り替えができないといけない。これは学習に限ったことではない。スポーツでもどこにピークを持っていくかによってトレーニングのしかたも休養の取り方も決まってくる。さらには瞬時における判断能力も身につけなくてはならない。試験などで難しい問題に時間をかけすぎ時間配分を間違え簡単な問題までミスしてしまうようなこともままある。それは危険を察知し回避する能力にもつながる。家庭環境の中で子どもに優先順位をしっかりと教え込むことがいわゆる躾(しつけ)なのだ。
適切な優先順位を決める能力を育てるにはどうしても小さい失敗が必要となる。失敗は成功の母だ。テストで失敗して始めて準備が遅かったことに気づく。ちょっと手を切ってみて鋭利な刃物が危険だということに気づく。つまり失敗経験の中から学び成功体験に結びつけていくのだ。子どもを取り巻く環境の中で子どもたちに失敗させないように挫折感を感じさせないようにすることがいいという雰囲気がある。これでは成功することが当たり前、逆にちょっとでもうまくいかないことにぶつかるとすぐ癇癪を起こしてしまう。これが現代の子どもの育て方の典型例ではないだろうか。「褒めて育てる」と言うことはとことん失敗した後での成功を喜びあうのだから意味があるのであって最初から「おだてて褒めて媚を売る」のとわけが違う。

適切な判断力があればある程度自信を持って子どもをどこにでも出せる。危険な場所、時間帯、人物がかなりかぎ分けられるようになり自分の身を守ることができる。そのようにしてあげることが親の仕事であり大人の役目である。信号が青なら横断歩道を渡っても安全だろうか。安全な確率が高いというだけで状況によっては一番危ない。自分の目でしっかりと安全を確認する必要がある。親や大人と一緒に行動する時に子どもにしっかりと教えることが必要だろう。
躾も他人任せではなく親がするべきものだ。親が無理をしてでも子どもの規範とならなくてはならない。最近、図書館でやたらに大声で騒いでいる子どもを見かける。まったく親はどういうつもりなんだろうと思うとすぐそばにいて何も言わないでいる。言うにしても「静かになさい。」程度で子どもに無視されている。ファミリーレストランでもお子様は我が物顔で大騒ぎである。自由とは何をしてもいい権利だと勘違いさせてしまった。欲しいものがあればなんとしても手に入れる。お金がなければ盗んでもいい。学校がいやなら不登校、家がいやなら家出。友達が気にくわなければいじめ。お金が欲しければ援交。
彼女が欲しくて女子中学生を誘拐して逮捕された青年もいた。親は子どもと闘わなければならない時がある。教師も生徒と闘わなくてはならない時がある。子どもが自由を要求してきた時にその自由に責任という制限を突きつけなくてはならない。携帯電話が欲しいと言ったらその必要性をよく話し合ってきちんとした制限を設けて与えて欲しい。「みんな持ってるよ。」子どもの常套句に負けずに「家は家。自分で全部お金も払えるようなったら買いなさい。」「お父さんに聞いてみて。」父親の存在をアピールして欲しい。子どもにとって本当に必要かそうでないか親がじゅうぶん吟味してからでも遅くない。子どものとった行動の責任も必ず親に跳ね返ってきます。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

本気で本音を語ってみれば?

日本人は本音とたてまえを上手に使いこなしてきた。しかし、このごろは本音をはっきり言う大人がずいぶん減ったように思える。なぜか?本音、すなわち本心をいうと揚げ足をとられたりときには周りから一斉に攻撃を受ける。その人の立場もあるだろうがあまりに揚げ足をとったり、非難ばかりしていては言論の自由を奪うばかりかいろいろな点で進歩、改善が遅れるだろう。
最近では小泉首相の秋の自民総裁選のコメント、鴻ノ池大臣の、長崎の幼児を突き落とした犯人の親に対するコメント、森前首相の女性の年金に対するコメントなど意識してか無意識か分からないがマスコミが一斉に非難を始める。道路公団の債務表もあるとかないとか。辻元前衆議院議員の秘書公的資金流用も土井委員長が知ってたとか知らなかったとか。誰も本音が言えない状態になっている。なるべく差しさわりのないことをわけが分からぬようにだらだらしゃべっていればとりあえず保身はできる。そうやって本気で何か事に当たることを避ける風潮が蔓延し始めた。
今現在の不況も大企業病といわれるたてまえ主義の経営が原因だろう。会社で言いたいことを言えば余計なことだとか何が分かるんだとか言われ自分の立場を悪くするだけだ。それでみなが口をつぐんだ。負債がとことん進み隠しきれないところまで来てしまった。臭いものにふたをしてきた結果だ。子どもの教育にもたてまえ主義が行われた。その結果が学力不振であり凶悪犯罪の低年齢化である。
学力低下に関する議論が盛んだがその原因はあまり明確ではない。以前は受験競争の名の下に受験を意識し学習に対する意識が高まった。それに高学歴がある程度高収入を保証していた。さらに個性を重要視した「ゆとり教育」の失策も学力低下に拍車をかけた。子どもを勉強に向かわせる外部的学びの動機付けが希薄になった現在では内面的な動機付けが不可欠だ。大人が子どもに「何のために学ぶのか」、「豊かさとは何か」「自分を大切にすること」を本気で示せなければ日本を含め先進資本主義国はさらなる学力低下に悩むことになる。
少子化、生きる力の低下は人間の絶滅につながると警鐘を鳴らしているのかもしれない。


人間が成長するには絶対に一人になる時間が必要だ。運動してもそのあとの栄養と休養がなければ自分の身に付かない。他者との関わりでなにかの刺激を受けた後は自分でそれを内省し自分の中に何らかの形でしみ込ませなければならない。すなわち人間は一人になる孤独な時間が絶対に必要なのだ。孤独な時間は確かに寂しいしつまらないこともある。だからこそ自分の中で葛藤がおき自分の存在を考え内から探求心が生まれてくるのではないだろうか。
その成長期における絶対不可欠な孤独なる時間が今日ではほとんどとれていない深刻な現状である。さらには孤独にさせておくことが親の義務を果たしていないかのような錯覚にまで陥っている。孤独なる時間を妨げているものにゲーム機、それからテレビ、携帯電話がある。それらは子どもから精神の成長に必要な孤独なる時間をみごとに奪い去ってしまった。孤独を与えることを恐れてはいけないし、孤独になることから逃げてもいけない。見せかけだけの優しさや愛情は成長を妨げる。
動物の世界はもっと厳しい。アザラシやチーターの子育ては、徹底的にスパルタである。さもないと幼い生命を落としかねないからである。一人で生き延びていくための泳ぎの技術や獲物を捕るための筋トレが生後すぐに始められる。子育てとは親がいなくても生きていけるようにさせることだということが改めて教えられる。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

刺激 過激 無知 無能

人間の感覚は鋭い部分と鈍感な部分がある。研ぎすませばいくらでも鋭くなって職人の技とか達人の技に達することもできる。しかし、感覚が鈍感になって麻痺していけば麻薬にはまっていくように簡単には満足できなくなっていく。さらに刺激を求めるようなる。刺激が普通になればさらにもっと興奮を呼ぶ刺激を求め、それが果てしなく繰り返される。アメリカ映画の手法がまさにそれで血なまぐささ、残酷さ、どぎつさがこれでもかこれでもかと増してくる。それに呼応するように日本のマスコミも情報を通してどんどんどぎつくなっている。それに反応する人々。暴走して歯止めがきかなくなってきた。カネ目当ての殺人、性犯罪、誘拐、いつの間にか日本も有数の凶悪犯罪多発国になった。
原因を考えればきりがないだろうが人を取り巻く環境がめまぐるしく変化し悪循環を招いているのだろう。自分の環境を自分で整備できなければよけいに悪循環にはまる。価値観が自分で決められず流行や周りの人たちに影響を受け大きな流れにながされる。この大きな流れはそう簡単には変えられない。日本がアメリカ型社会を受容し崇拝し追従してから日本はアメリカの複写版になった。大型店舗やチェーン店の進出でどこの町に行っても同じような街並みが続く。街から個性が消えた。
アメリカは個人主義で一人一人の個性を大切にして伸ばす社会だと思われている。教育もすばらしいと考えられている。本当にそうだろうか。移民が集まってできた国だからそうならざるを得なかったのではないだろうか。他人のことに関してよけいなことに口を挟まないことが社会を混乱させない一番の方法だった。宗教も違えば習慣も違う。違うものどうしが接触すれば必ず摩擦が起きる。インディアン、黒人、ヒスパニック、東洋系、中東系。みなアメリカ社会では虐げられてきた。住むべきところを限定してそこに住めば摩擦は最低限度で済む。それがチャイナタウンでありリトルイタリーなどで代表されるコミュニティーだ。気にしなければそれで済む。しかし、知らなすぎることはややもすればプロパガンダで大衆操作されやすくなり危険な状態になる。アフガニスタンやイラク攻撃にしてもかつての真珠湾攻撃、朝鮮戦争、ベトナム戦争。詳細を知るアメリカ人はほとんどいない。自国から出て他の国に旅行した人も非常に少ない。

アメリカはプロパガンダで悪を立てそれを一斉に攻撃する。アメリカの一般市民は驚くほどいい人が多いのは事実だ。しかしだまされやすいのも事実だろう。日本も同じ道を辿りつつある。
日本はほとんどと言っていいくらい単一民族国家である。隣近所でいろいろな交流がもたれ地域社会が成り立っている。それが閉鎖的であるといわれるが犯罪抑止にはとてもよく機能する。「どこそこの誰が何をした。」「誰のうちの孫が悪さしたから叱ってくれた。」「あそこのうちの子は挨拶がよくできる。」「あの子はわんぱく小僧だけどちいせえ子の面倒よーく見る。」おとなしそうな子がいれば「おめえが行ってよんでやれ。そうすりゃええ。」自分の子に言って聞かせた。そうやって地域で子育てができた。いいことも多少の悪さも地域で受け持った。みんな個性豊かに育っていたように思える。
今は親が子育てを放棄し、学校も地域も見かけだけで真剣に子どもと向き合えない。野放し状態で育ってしまった子どもは犯罪を犯す可能性を秘めたまま成長する。これからもさらに凶悪犯罪は増加する。
アメリカ社会でも最低限親に子育てを放棄させないしくみになっている。駐車場に小さい子どもを一人にさせておけば逮捕される。公園でもどこでも目を離して事故や犯罪に巻き込まれれば親が責任を追及される。日本ではパチンコをしていて子どもを車内に寝かせ熱中症で死なせてしまう親がいるがそれはアメリカでは重罪に当たる。親が深夜ゲームしている間に子どもがさらわれ殺される事件もあった。この夏休み大きな事件、嘆かわしい犯罪がなければいいと思う。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

精神的成長と第二の学力

第一の学力が理解力、記憶力などを指すのに対し、第二の学力は知的好奇心や問題の本質をとらえようとする意欲や能力だ。今、企業で求められている人材がこの第二の学力である「問題を発見する力」を備えている人だそうだ。しかし考えてみると、この第二の学力というのは第一の学力の以前の人間の本質ではないのだろうか。小さい頃は誰もがもっている知的好奇心、探求心をなぜ「第二」に押し下げてしまうのだろうか。本末転倒だ。本来なら知的好奇心や問題の本質をとらえようとする意欲をもとにして事象を理解し納得し発展させていくのだろう。
生徒に問題を意識させずただ単に用意された解答を正確にコピーできた生徒に高得点を与えてきた大きな弊害だ。その結果主義の弊害がいろいろなところで噴出している。人の命を預かる医者がうっかり医療ミスをする。患者や患者の家族の立場になればあり得ないことだろう。有名大学の学生が出会いサイトで恐喝で逮捕されたり、女子を暴行したりと数えればきりがない。暴行を加えた学生を「元気があっていい」と発言して顰蹙を買った政治家までいる。八王子で路上に寝ていた若者に危ないからと注意した青年が逆に暴行され死傷した。東京、大阪近郊では女性を狙った通り魔が頻発している。老人を狙った詐欺事件も多い。子どもも行方不明になっている。福岡では子どもも含め一家全員が殺害された。殺伐とした世の中になった。自分さえよければ他人などどうなってもいいという考えのことだろう。日本の教育がどこかで方向を間違え、世の中の歯車を狂わせた。

ほとんどの中学で一学期の期末考査試験が終わった。中一も初めて迎える中学校での試験にとまどいながらも自分なりに全力で立ち向かった。「へエー、中学の試験って大変だ!」各自そう思ったはずだ。結果が返ってきてみな一喜一憂する。でもその顔には大きな成長の跡が見られる。頼もしくなった。毎日のように課題が出されクリアしていかなければならない。つらくていやになった時もあると思う。テレビを見てゆっくりゲームをしたい。そういう気持ちと闘いながら一つの山を乗りこえました。御父兄の皆さん、子どもをあたたかく褒めてあげて下さい。とにかく全力でした結果です。「よくやったね。やればもっとできる。がんばろうね。」BAUでは精神的な成長があってこその学力の向上に重きを置いています。子どもの成長過程でやはり難しいのは厳しくするタイミング、褒めるタイミングです。
「して見せて、やらせて見せて褒めてみて」山本五十六海軍元帥の言葉だ。今の大人は子どもにいい手本を示さず逆に悪い見本を見せているため子どもたちは悪いことを平気でしているのではないだろうか。子どもは悪いことに関しては驚くほど覚えが早い。まず大人が道徳を守ってから子どもにそれを守るように言えるし、人を思いやる気持ちを持って始めて子どもにそれが自然と伝わる。平気で道にゴミを投げ捨てる大人を見るだけで子どもの心は傷つき汚染されていく。子どもの前で平気で喫煙している大人がいるだけで子どもの心と肺は汚れている。レストランで親が子どもの横で喫煙している姿を見ることがあるがあまりにも無神経だと思う。幼稚な子どもが多い国には幼稚な大人が多いことの証になる。第二の学力を育てるのはまず家庭。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

柔軟な姿勢とストレス

中学の英語の教科書でケニアに関する内容が出てくる。ケニアはスワヒリ語、英語それにキクユ語が話されていること。かつてイギリスに支配されていたこと。それで英語が話されるようになったこと。しかし、それくらいでケニアの何が分かるのだろう。キクユ語って何なんだろう。そういったことは学校でほとんど触れられない。ケニアの人々の暮らし、歴史、文化など掘り下げて学習する時間がゆとりの時間に押しやられてはナンセンスだ。進学塾でもおそらく教科書の文法的なことや単語、読みくらいしかできまい。カリキュラムにないことを授業に入れては時間もなくなるし、余計なことをしては困ると上から言われるだけだろう。
BAUはケニアについてのビデオ(映画)を見てケニアについて学んだ。「キッチントト」という第2回東京国際映画祭でグランプリを受賞した作品だ。キッチントトはスワヒリ語で台所の下働きという意味。ケニアの独立運動が台頭してきた1950年、キクユ族を中心とするマウマウ団の暴動が激しさを増してきた。主人公のムワンギ少年の父はキリスト教伝道師であるが暴力に訴える独立運動に反対し子どもの目の前で殺害される。母親も暴行を受け逆さに吊される。なんとか一命は取り留めたが一家の主を失い家計は火の車になる。ムワンギは白人の警察署長ジョンの家にキッチントトとして出される。独立、民族、善悪では割り切れない問題が様々な形で盛り込まれている。1963年にケニアがイギリスから独立するまでに亡くなった黒人の数は14000人以上だった。今の一見平和のように見える姿だけ見て流すのではなくその平和や権利を勝ち取るまでにどういう経緯があったかを知ることがその価値を享受する最低限の礼儀ではなかろうか。授業が遅れたら惜しみなく時間をかけてまた勉強していけばいい。
そういう柔軟な姿勢が生徒の興味を喚起し知的好奇心を刺激することになると思う。

人間はいくつになろうとも自分の居場所を探すものだ。自分が居心地がいいと思える場所。おもしろいと思える場所が必要なのだ。学校でも家庭でもそういう場所が見つからない人がホームレスになったり
コンビニやカラオケルームで一夜を過ごすのだろう。ストレスをどういう形で軽減していくかが老若男女を問わず現代が直面する大きな問題なのだろう。完全なストレスレス(ストレスがない状態)では人間の成長は望めないし過度なストレスも成長を鈍化させる。そのストレスを上手にコントロールしていくことが心身のバランスをとることにつながる。
具体的にはどうすればいいだろうか。鞭と飴である。いやなことの次には楽しいことがある。この坂の向こうには美しい景色が開けている。話は変わるが多くの学校で前期後期制が導入されてきている。夏休みの後に前期期末試験がある。楽しいことの次に苦しいことがあるのは苦しいことが倍に感じられはしまいかと危惧の念を抱く。苦しいけれどこれを乗りきれば何か楽しいことが待っている。できればそれはお金であって欲しくない。いい点を取ればいくらもらえるでは打算的な人間しか育たない。
柔軟な姿勢が人間の幅を広くしストレスを上手にコントロールできるのではないだろうか。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

怒りを原動力に方向感覚を失った学生

ことわざに「知らぬが仏」とういうのがある。確かにそういう一面もあるだろうが世の中、無知であるがゆえ思考停止状態になり「朝三暮四」であることにも気づかないことが多い。人を強く動かす原動力はいくつかの要因がある。好奇心であったり使命感からかもしれない。人間を一番強く動かせるのは怒りのパワーだ。革命は常に圧政のもとに虐げられた民衆の力で起きた。
最近の高校生を見ていて気づくのだが暇があれば自分の携帯電話を取り出してなにやらカチカチとやっている。そんなにメールのやりとりがおもしろいのだろうか。それしか楽しみがないのだろうかと思うと悲しくなる。
ほとんどの生徒が同じ方向を向いていて、進むべき方向がある程度暗黙の了解であった偏差値至上主義も必要悪であったのかという気になる。方向性が定まらないことも個性の一つに数えてなんでもOKにしてしまうことに問題はないだろうか。学校に行きたくないなら行かなくてもいい、仕事も行きたくなければ行かなくていいのだろうか。子どもに権利や平等を主張することを教え、その一方で責任や協調性を軽視してはいないだろうか。バランスが崩れている。
今日、学生の意識は政治や経済、国際情勢から遠ざかっている。ほとんど何も知らない。それはステレオタイプの学校教育の弊害かもしれないし、それをつかさどっている文部科学省、外務省の圧力、ひいては近隣諸国の圧力なのかもしれない。太平洋戦争の敗北精神をひきずって、または足かせをかけられて日本人は誇りを失い闘う勇気もそがれた。
それにマスメディアが果たす役割がかなり低レベルではないだろうか。部数の売り上げに精をだしている新聞社はおもしろがられる記事や差し障りのない社説を載せているに過ぎないのではないかと思う。テレビも視聴率を上げることに気持ちが行きすぎていないだろうか。何か本質をないがしろにして真のマスメディアの仕事を軽視してはいないだろうか。日本の抱える問題を真正面から見つめ国民に知らしめ啓発しなければなるまい。それとは逆に日本の抱える真の問題をすりかえたり隠蔽したりしていることもある。北朝鮮の拉致問題にしても産経新聞をのぞいてほとんどの新聞が否定的な立場をとっていたそうだ。曽我ひとみさんの「私たち家族をバラバラにしたのは誰ですか?」のコメントに川口外務大臣はしどろもどろで口ごもっていた。アザラシのタマちゃんよりも紙面を割かなければならないことはないのかと思う。

今になって英語教育が検討され小中一貫教育が叫ばれ、スーパーイングリッシュといって中央高校では英語で授業がなされている(現実には徹底していないようだ)がややもするとコロニーイングリッシュになりはしないかという不安が大きくなる。フィリピンも香港もハワイもグアム、サイパンもある程度英語がみな話すことができる。しかし、彼らの母語はいったい何だったのだろう。英語という言語に浸食されて独自の文化や習慣までも失ったのではないだろうか。まず自国の言語に流れる歴史、文化、風俗習慣をしっかり学ぶことが先決ではないかと思う。
情報という語には2通りの英語が充てられる。インフォメーションとインテリジェンスだ。インフォメーションは公に流す情報。インテリジェンスは重要な情報、諜報のことだ。つまり後者はインフォメーションの裏に隠された真の情報を読みとる能力のことを指す。日本にはインテリジェンスが決定的に欠けている。皆無だ。それに海外の情報を知る術もない。もちろんアメリカにはCIAがあるし欧米にはエシュロンというすべての電話回線、インターネット内容などを傍受するシステムができあがっている。つまり日本のインテリジェンスは筒抜けなのかもしれない。英語を学ぶよりも自国の情報をいかに守るかの方が大事なのではなかろうか。
インテリジェンスを持つことが今の日本人、特に若い世代に求められていると思う。現在の日本の危機は今何が起こっているかを真剣に考えようとしていないことだ。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

オンリーワンを目指せ

デフレ時代が続き世の中がとても殺伐とした感がある。大企業は苦しくなると次々に合併したり社員の給料を減らしたり社員そのものまでも減らしている。企業同士が今やライバルとなり食うか食われるかの時代になった。それはまるで食料がなくなった時代の恐竜のようだ。弱いものが餌となり、その餌が少なくなると今度は共食いを始める。最後には力尽き果てて絶滅していくのだろう。ではすべての生き物が絶滅したかというとそうではない。生き残ったものもいる。それは小動物だ。木の穴に隠れたり葉の陰に隠れて敵からの攻撃を避け自分はわずかばかりの餌を食べて生き抜いた。巨大化した恐竜が自分を養うことができず滅んでいったのとは対照的だ。確かに餌が豊富にある時は巨大な生物が有利で我が物顔で大通りを闊歩できる。しかしいざ食糧難になるとなんとも動きの鈍いのろまな生き物になる。
その恐竜はアメリカであるかもしれない。または国内では大手銀行、または大きすぎると思われる政府、公官庁公団と呼ばれる官僚の天下り先である外郭団体であるかもしれない。きちんとした仕事をして相当の報酬を手にするのは問題ない。しかし、ほとんど仕事をせずに莫大な報酬を手にしていることが問題なのだ。陰陽説では一カ所に集まることはどこかに欠乏を生むことだという。ディズニーランドやユニバーサルにあれだけの人が集まると動物園や水族館を訪れる人が減ることになる。ハウステンボスも倒産した。東口に大きな映画館ができ町中の古い映画館は圧迫され閉館に追い込まれた。スターバックスがいたるところにできると雰囲気のあるコーヒーショップが消えていく。個性の時代と逆行していくことになりかねない。グローバリゼーションは実はアメリカンスタンダードを押しつけることだった。ヨーロッパではアメリカの進出に対してかなり危機感を抱いているらしいが日本はアメリカ一辺倒主義なのでかなりやられた。アメリカのトイザラスも餌に困ってきた。どこかに餌がないかを彫りの深い目でギョロつかせてもおいしい餌はもうない。唯一残った餌は高齢者だった。しかしこの高齢者はアメリカの餌に簡単に飛びつかない。おじいちゃん、おばあちゃんには「情」がある。アメリカ人には理解できない感情だ。馴染みの店がいいと言って店を変えない。今まで築きあげてきた信用を大切にする。「古い」とか「遅れてる」と非難されても自分の主義を通してくれた。それが日本を救っている。

日本の小さな町工場の社長さんは高齢の人が多い。自分の主義を通して個性を出してオンリーワンであり続けている。大企業がコストがかかりすぎるのと技術的に難しいだろうと製造をあきらめた痛くない注射針をつくっている町工場。ひとつひとつ手作りで完璧な鞄をつくる吉田鞄店。NASAが使っているレンズも日本の町工場が作っている。日本の根底を支えているのは大企業ではなくまじめで地道でしかも精巧なる技術を持った町工場に支えられているのだ。
今度のイラク攻撃にしてもまったく同じことが言える。日本政府は北朝鮮との関係もあるだろうが国民の声に耳を傾けずアメリカ一辺倒の姿勢を堅持し続けた。世論の力を借りてある程度日本の主張はできたと思う。唯一の被爆国である日本が主張できることがあったと思う。どんな大義名分を持ってしても爆弾の下には逃げまどう人間がいることを忘れてはいけない。
今回の受験の結果、BAUでは中3全員が各自の希望高校に合格しました。全員が一人残らず希望高校に合格するということは受験生一人一人の努力の成果ではあるが、先に私立高校に合格した生徒も公立までともにがんばり続けてくれたこと。先輩も日曜返上で最後まで受験生を励ましてくれたこと。みんなが家族と同じように協力し、努力してくれたおかげだということを心に銘記しておいて下さい。

高校に行ってからもよき先輩になり後輩のよき話し相手になるべく精進していきます。
本当にありがとうございました。
BAU中3一同


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

長い目で見る姿勢

最近の傾向として目先の欲に捕らわれて失敗したり予想外の損失を被るケースが多い。いわゆるバブルもそういうところから生まれたものだろう。一番いい時を基準に考えてそれよりももっと多くの利益を上げることが至上の課題のように扱われていつの間にか方向性(信念)を失ったのだろう。
昨年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんにはアメリカの企業などから今の給料の数十倍出すから来てくれと多くのオファー(誘い)が来ているそうだ。しかし田中さんは今の会社を出るつもりはないという。賞を頂いたのも自分一人の力ではなくチームの成果だと言っている。金で動かず信念で動く人なのだろう。本当によかったと思う。優秀な頭脳がまたアメリカに流出してしまうところだった。金を多く積んだ方に人が動くという通常の資本主義の道理が通用しなかった。戦後日本のとってきた多くの道はこのアメリカ式の資本主義だった。金の多く積まれた方に動くやり方はアメリカにとってはとてもシンプルで操作しやすかったろう。おかげで日本の山林は切り裂かれ無用な道路やゴルフ場が山ほどできた。しかし、その見返りとして日本の自然を売った。空気も水も汚れ、森林も魚も死んだ。魚が死ぬことは人も死ぬことだと気づかなかった。野菜も農薬に汚染され、家畜も化学飼料に汚染され、人もクスリに汚染されている。
スピード化が良しとされ何でも速いものが尊ばれファーストフード、コンビニ、スピードくじ、挙げ句の果てに遺伝子組み換えまでし始めた。アメリカは歴史の短い若い国だ。まじめに働いて社会に貢献するというよりも株で大儲けができることがえらいのだ。アメリカの経済学はいかに短時間で多くの金を手に入れるかを教える。ギャンブル学だ。時間をかけて何かをすることが苦手だ。だから文化が育たないのかもしれない。アメリカ=マクドナルドと見えてしまう。
日本の若者をそういったスピード狂の呪縛からほどくために農作物を育てる試みをしてみたらどうだろう。小学生ではよくヘチマや朝顔の栽培をしているが中学生でも是非大豆や小麦、トウモロコシ、蕎麦、ネギ、いも。そういうものを栽培し自分たちで料理して自然の恵みを体験してもらいたい。何かをつくることは時間も手間もかかり大変な作業だということを学んで欲しい。そしてそれから与えられる恩恵も感じて欲しい。そういうことのためにゆとりの時間を充てられないものか。
速効性を求める時代の負の遺産としての副作用が最近顕著に見られる。手っ取り早く済ませる方がいいということであきらめが早くなりさらに我慢がきかなくなる。万引き、窃盗、強盗、殺人といった犯罪からいじめ、不登校、学業不振、家庭内暴力という問題まで案外それが原因だと言える。じっくり時間をかけて働いて稼ぐ、しっかり勉強して成績が上がる。時間の流れの中で自分の置かれた立場や自分のできることを考えてみることが必要だ。
人間を育てることも植物を育てることに似ている。
時間も手間もかかる。大量生産主義で農薬と化学肥料の力で収穫できるだけ獲る。数割の犠牲はしょうがないとする。それを個人の責任とする。そこから個性なんて生まれるはずがない。毎日畑に行って一本一本、一苗一苗様子をうかがう。元気に育っているか。葉の色はどうか。肥料は適当な量が与えられているか。お天道様にはじゅうぶんあたっているか。一本、一苗も枯らしてはいけない。それが教育じゃなかったか。一本一本の性格、特徴を把握しそれぞれ存在感があっていきいきしている。そこから個性が生まれてくる。試しにジャガイモを数個出してそのうち一つをよく観察してください。最初はどのジャガイモも同じに見える。しかし、じっくり観察したジャガイモには個性があることが分かる。元に戻してからもう一度そのジャガイモを見つけ出してみてください。簡単に見分けがつきます。またとても愛おしく感じる。愛情が生まれてくる。生徒も自分をよく見てもらいたいのだ。勉強でも運動でも遊びでも自分をよく見て欲しいと願っている。個性をどんどん前に出したくてたまらないのだ。生徒とじっくり向き合ってよく見てくれている人が何人いるだろう。母親は子どものちょっとの変化に気づかなければいけない。なぜなら子どもの変化は微妙で劇的だからだ。その微妙な変化を見逃すと気づかなかったでは済まされないことにもなりうる。身体の変化、精神の変化、環境の変化。毎日見ていても案外気づかないことも多い。または気づいてもちょっと迷いながらも流してしまうこともある。ちょっとした言葉遣いの変化、服装の変化、友人関係の変化、目つき、顔色、成績の下降。子どもは反抗期を経て自我を発達させていくがその過程において大人の目がきちんと行き届いていないと自己中心的で切れやすい性質になってしまう。もちろんプラスの変化も大いにある。今までできないと思っていたことができるようになったり、きゅうに大人びたような発言をしだしたりもする。頼もしいと感じる瞬間がある。しかしその反面、非常に脆く傷つきやすいのもこの時期だ。
大人の目の役割をしていたのが従来は父親であった。怒ると怖い存在でよかった。しかし、父親が弱くなったのか母親が強くなったかは分からないが子どもにとっては制限のない自我(我が儘)が生まれる温床となった。母親はどんなに怖いふりをしてもある年齢になるとその呪文も効かなくなる。母親の手に負えなくなる日が必ず来る。
是非お父さんにがんばってもらいたい。父親(もし不在なら母親が絶対の信頼を寄せている人)と将来のことや日本のこと、世界のこと。そういった巨視的な視野や大局的なものの見方を子どもと話しながら教えてもらいたい。それが長い目で見る姿勢につながると思う。子どもと話せる時期は短い。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

覚悟 ~旗幟鮮明~

物事を始めるときにはそれなりの覚悟がいる。覚悟をしなければならない。覚悟とは自分の心を口に出して明らかにするという意味がある。つまり公言だ。公言することによって自分を鼓舞しその公言が実現できなそうなときは自らを叱咤激励し、また努力を重ねることができる。覚悟のないものは達成感を得られない。なぜなら簡単に道を変える隙が心にあるからだ。臨機応変で柔軟性があるといえばそうだろうが穿ったものの見方をすればそれは逃げになる。敢えて退路を断つ覚悟があるだろうか。目標は高ければ高いほどいい。自分の中の甘えも許されなくなるからだ。

スポーツでも芸事でも勉強でも同じだろう。自分の目標を定め覚悟をする。絶対にベスト4に入る。優勝する。コンクールで入賞する。目標点を超える。または絶対自分のめざす高校に合格する。それなら自分は何をしなければならないか。覚悟という言葉には迷いを絶ち物事の道理を知ることという意味もある。人の周りにはさまざまな迷いがある。迷いとは自分の信念の邪魔をする諸々の誘惑のことだ。テレビも見たい。ゲームもしたい。携帯も持って友達とメールをしたい。ゆっくり寝たい。人間、自分の欲望に身を任せていてはきりがない。それらを断ち切って自らの稽古に励む。鍛錬を積み重ねる。そうして初めて新しい自分の可能性が拓けてくる。

成長とは破壊と再生の繰り返しだ。自分を自分で追いつめていじめ抜いて強くなる。懲らされてこその教育という言葉があるが、教育とは弟子をいじめることなんです。今「いじめ」というとマスコミが大騒ぎでけしからんと囃し立てているが、いじめとはプラスの面もある。その加減が難しい。適切ないじめが要求される。いい師はいじめ上手だ。いじめていじめていじめ抜いて褒める。だから褒められることの意味が深まる。日本の教育に一番肝要な「懲らされて」(いじめられて)の部分が欠落した。やたら軽い上辺だけの褒め言葉が飛び交うようになった。そのうちに甘やかして褒めるようになった

英語の躾(しつけ)という単語はdisciplineがある。それには訓練、懲戒、折檻の意味もある。さらにdisciplineの語源であろうdisciple という語はキリストの弟子という意味だ。弟子を厳しくしつけることが師の仕事だ。日本では躾は褒めること、甘やかすこと、ご褒美という意味になった。甘やかされて育った子はひ弱だ。学校よりも社会のほうがずっと厳しい

まず自分のできることを考えてみる。この時間をこうに使える。無駄にしていた時間が息を吹き返す。まだできることはないか?お風呂に入っているときも工夫すれば本が読める。紙が濡れるのを覚悟で何かを覚えてから湯からあがる。トイレにも本を置く。寝る前のひとときの読書。食後の新聞。読めない漢字をなくすでもいい。ニュースを見る習慣もつけたい。図書館で気に入った本を探す。どうしても見たい番組があれば録画して一週間後に見る。案外見なくてもよくなってしまうものも多いだろう。

自分の子どもの生活態度や学習態度に不満を持つご父兄もいると思います。「先生。この子は家でぜんぜん勉強しないんです。大丈夫でしょうか?」「宿題しかしません。」「テレビ見る時間が多くて。」「なにか言えばすぐ怒るんです。」そういうご父兄の方は是非一緒に闘って欲しい。「お母さんもああするから。」「お父さんもたばこやめるから。」一緒に何かを覚悟なさってみてはいかがなものでしょう。

道 程
高村 光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
ああ自然よ、父よ
僕を独り立ちさせた広大な父よ
常に僕を見守ることをせよ
常に父の気迫を僕に満たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

ITが子供の脳を壊す

電子技術とそれが形づくるさまざまな情報が21世紀の世界を駆け巡っている。いろいろなメリットはある。しかし、その一方で深刻な問題が水面下で進行しているという。パソコンや携帯電話、メール、テレビゲームが子ども(人間)の脳にダメージを与えている。いわゆるメール脳、ゲーム脳といわれる現象だ。

ゲームや携帯メールを始めると脳の前頭前野が機能しなくなるり始め、さらに長期間にわたってゲームや携帯メールをし続けていると平常時から脳波が測定不能なほど前頭前野が機能しなくなるという。そうなると理解力や記憶力、集中力がなくなるだけでなく「キレやすい」「物忘れもひどい」などの症状も出てくる。ゲームやメールをやめたくてもやめられない。ほとんど中毒状態になっている。周りが無理にやめさせようとすると怒りだすためにまたやらせてしまう。

中学生も高校生もひどい時は授業中でもお構いなしにメールをうっている。5分に一度は携帯を開けてみないと不安らしい。ゲームに夢中になるのは男子、携帯に夢中になるのは女子のほうが多い。とにかくITに汚染されているのは確かだ。だが、汚染されているのは子どもだけとも言えない。成人した大人でも携帯を放せず無意識に中毒になっている人が多い。子どもがとりあえず静かにしていてくれるからゲームを与え、ゲームをしてるときは集中力があると勝手な判断を下す。携帯も危ないからとかという理由で持たせるが、そのほかの機能を放置しておいてはかえって危険度は増す。子どもの携帯にも出会い系サイトの飛び込みメールはどんどん入ってくる。犯罪から守るはずのものが犯罪を招く温床となっている。案外大人の都合で子どもはゲームづけにされたり携帯を持たされているのかもしれない。

最近授業をしていて生徒が「先生、そんなに覚えられませーん。無理です。」という発言がある。詰め込み教育が悪であるというレッテルを貼られ基礎知識もないので関連性を持って記憶することできず畢竟新しい知識の蓄積ができにくくなっているようだ。さらにゲーム脳、メール脳とだめ押しをされればもう手の打ちようがない。知識の倉庫もない。ものを考えるオフィスも作り出す工場もなければ仕事にならないだろう。
どうしてそうなるのか。テレビゲームやメールでは考えるプロセスを経ないまま手を動かす。人間の脳は本来どんどん使って神経回路を増やさなければならないそうだ。脳が発達しなければならない10歳前後までは特に事態は深刻になってくる。
幼いときからテレビやビデオ、ビデオゲームなどの一方通行の刺激に長時間さらされると無表情、年齢相応の言葉を使えなくなり、社会性も失う。コミュニケーション能力が破壊され健全な脳の発育が損なわれる。
ゲーム脳、メール脳から抜け出すには読書がいいそうだ。1日10分の読書、できれば音読がいい。実際、本をぜんぜん読まない人が増えている。何より本人の自覚がなければ何も始まらないのだが。悲劇はいざというときになかなか覚えられないということだ。世の中は勉強だけでなくいろいろ場面で覚えなければならないことがたくさんある。車の免許を取るのも交通法規を覚えなくてはならないしパソコンでも覚えることはたくさんある。なにかの資格を取るためにも仕事をするにもある程度専門的なことを理解し、覚えていかなければならない。そういう時に学生時代の訓練がものをいう。学生時代の勉強とは失敗がある程度許される将来のシュミレーションなのだ。
ノーベル化学賞受賞の田中耕一さんが小学4年生の時に書いた作文の中に次の言葉がある。
『自分の頭で考え、自分の足で歩き自分の手で作ることの必要はいまでもどんなに進歩した未来でも同じことだ。』

バウでは総合の時間を使い本を読むことを習慣にしていきたいと思います。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

日本の若者世界一学ばない子供たち

先日NHKクローズアップ現代で中国の女子工員を特集した。時給40円で一日に12時間働くという。三日続けて休めば解雇される。故郷には仕事がなく,彼女たちの月給は故郷の親の半年分に相当する。工場の外には就職したい中国人女性の就職試験の列ができている。それも中学を卒業したばかりの一五,六歳の子どもたちだ。広東省にある工場まではるか遠くの四川省からほとんどの子が歩いてくるのだそうだ。汽車賃がないのだ。距離にして約二〇〇〇キロ。北海道から沖縄の距離だ。せっかく歩いてきてもその工場で雇ってくれる保障はない。もしだめなら他の会社をあたるしかない。稼いだお金は半分以上を故郷の家に仕送りする。なかには弟や妹の学費も送っているという子もいた。なんという厳しい現実だろう。しかし,その女子工員たちは仕事はぜんぜんつらくないと言う。はやくお金を稼いで自分のやりたいことをするという夢を目を輝かせながら話す。ブティックを開く。社長になる。あれがしたい。こうになりたい。夢が目標となっている。貧しさから抜け出して豊かになることが活力になっている。

日本の学生は大学の費用もまた生活費もほとんど親が払うのが当たり前。そうかといって真剣に勉強してるかと思えば決してそうでないことが多い。豊かになってしまった結果目的を失った。いま日本人,とくに若者に求められているのは経済的な豊かさだけでなく精神的な豊かさだろう。新しい価値観が構築されてこないと迷いが生まれるだろう。しかし,現在はその経済的基盤も危うい状態に陥っている。迷いがさらに複雑化している。いったい何をすればいいのか。

1日25分。昨年発表された経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査で日本の15歳が自分の勉強をする時間だ。調査に参加した32カ国中最低だった。今や日本の子供は世界一勉強しなくなった。学力低下が声高に叫ばれているが学習意欲の低下が大きな原因だろう。

親も学校も地域社会も子供に勉強することをあまり強制しなくなった。子供の自主性を重視して「ゆとり教育」を推し進めた結果だ。最初から勉強が好きな子供はいないだろう。勉強よりもゲームやマンガ,いまは携帯電話もいい時間つぶしになる。メールで数時間やりとりする子供もざらだ。

子供の自主性のなかには逃げることも含まれてしまった。不登校やひきこもりはネガティブな自主性の表現なのだろう。

学習意欲は親,学校,地域社会が一体となってあげていくべきだ。習いごとはつらいことが多い。やらなければならないことがたくさんあって中にはつまらないことも自分には向いてないと思うこともあるだろう。しかし,それに挑戦してある程度全力でやってみる。その中であまり苦にならず取り組めるものが出てくる。もしかしたらそれをすることが楽しいと感じるかもしれない。そうやって進路が決まっていくのではないだろうか。何もやっても見ないうちに何になりたいだとか何がしたいとかを問うのは本末転倒だ。食わず嫌いをなくしてまず食ってみる。またつらいこともある程度経験しておくことで人生のシミレーションが行われる。

子供になぜ勉強しなければならないかを丁寧に説明し納得させることが必要になってきた。いい高校,いい大学,いい就職,そして高収入という短絡的な説明では子供は納得しなくなってきた。大人も真剣に勉強の意味を考えて自らも前向きな姿勢を持たないと子供は納得しない。大人の縮小版が子供だからだ。子供に目標とされるような大人が必要とされている。

バウでは発想力,論理的思考を養うためにいろいろな数学の問題に取り組んで行くことにします。みなさん,がんばって下さい。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

学習指導要領迷走

新学習指導要領はゆとり教育を打ち出し、学習内容を大幅に削減したが、学力低下につながるとして批判が実施前に強まり指導要領は最低基準と解釈を変更、施策を学力向上重視に転換した。しかし、この方針は教科書検定に間に合わず、今春から使用されている小中学校の教科書では指導要領を超えた記載がすべて削られている。
そのため学校現場では教える量が少なくなり内容も浅いために授業のペースが驚くほど遅い。確かに学習における生徒たちの負担はかなり減ったが学力も確実に低下している。鉄は熱いうちに打て!
今までの教育システムがベストであるとは言えないが今回の教育改革は改悪になった。もっと世界を見つめ熟慮に熟慮を重ねた改正であるべきだった。日本の教育が世界をリードしていける下地はある。しかし、機を逃すとそれも危うくなってくる。
英語教育も開国当時の翻訳主義がいまだに主流であるし、そのため文法文法と生徒を責め立てる。それが英語を話せなくしていることにはやく気付いてもらいたい。外国の英語の先生も以前に比べるとずっと増えた。しかしその中味がなかなか伴わない。40人のクラスに呼ばれていった外国人教師はいったい何が出来るのだろう。
いまよく出題されている発音問題などナンセンスだ。mother と young の発音が同じなら○違うなら×という具合だ。何もおもしろくない。BAUでは詩を使って発音問題を自然にかつイマジネーションを使ってとけるようにしている。
I'm a shoulder You can
cry on
Your best friend
I'm the one You must
rely on...
Now I see you've broken a feather
I hope We can patch it up together...
この中でcry on やfeather などの語句を考えさせて答えさせる。そこには詩情もあり、さらに英語がおもしろくなる。英語が自分の言葉となり表現能力が高まる。

今新聞、テレビなどで大きく報道されている北朝鮮問題やイラク問題。高校生でもそのほとんどがキムジョンイルを知らなかったりイラクがどこにあるのか、そこの大統領の名前も知らない。小中校生にいたっては問題外だ。モーンニング娘の名前が言えてサダムーフセインが言えないのは困るのではないか。そのような国民が大量に輩出されれば国防のことも政治のこともいっさい分かりませんということにつながる。いわれたままの税金を払い続けることになり、最悪の場合戦争に駆り出されかねない。
教育とはそれほど恐ろしいものだ。一歩間違えば国を滅ぼす。北朝鮮の子どもたちもキムジョンイルが彼らたちの英雄で絶対的な存在だと教えられ洗脳される。三つ子の魂百まで!歴史教育は近代史ー日本との外交史ーから進めるべきだ。
世界には平和とか友好という言葉は存在するがその実態ははたしてあるのだろうか?その実態はパワーオブバランスであったりお互いの利益が一致した場合なのだろう。お互いのメリットがあることを友好という。
現実の厳しさを見つめ直すべきだ。日本の置かれている現実の厳しさを教えるべきだ。日本にはそのまま売って金になるものが何もない。何かを加工して売らなければならない。それも世界で一番いいものをだ。それを今までの日本はやってのけた。家電のソニー、パナソニック、日立、東芝、シャープ。車のホンダ、トヨタ、日産、マツダ、スバルなど。バイクのホンダ、KAWASAKI、スズキ、ヤマハ。カメラのキャノン、ニコン、ミノルタなど。時計のSEIKO、シチズン、Gショックのカシオ。楽器のヤマハ、カワイ。どの企業も世界と日夜厳しい闘いを強いられている。そんな国に「ゆとり」があるのだろうか。「ゆとり」とは時間を有意義に過ごすことだ。現代の世の中では移動するにも何かを得るにもそれなりの費用がかかる。資本主義だから金がなければ経験も容易には得られない。さらに教養がなければその経験も生きてこない。人生を楽しく有意義に過ごすためにもある程度のお金と教養は邪魔にならない。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

ファントム・オブ・メナス ~驚異の怪人~

アメリカ合衆国は世界にとっていったいどういう意味をなすのだろう。世界のリーダーなのだろうか。
どういう点でアメリカはリーダーシップをとるつもりなのか?経済,政治,軍事,文化さまざまな面でたしかにアメリカは脅威であり世界を席巻している。アメリカ自体はリーダーシップを発揮していると思っているのだろうが実は脅威なのだ。脅威すなわち脅迫に近いものがある。大国のエゴで小国を従え小さな満足を保障してくれる。これであなた方は幸せなんですと洗脳してくる。
地球温暖化におけるCo2削減にしてもアメリカは頑として世界に同調しない。パウエル国務長官が国連で演説したときにまわり中からブーイングがとんだ。アメリカが悪の枢軸国と名指しで呼んでいるイラクや北朝鮮は確かに核兵器,化学兵器を秘密裡に製造,保有しているかもしれない。しかし,当のアメリカは一番そういったものを保有しているのではないか。自分が持つのはよくて他人が持つのはぜったい許さない。世界のルールを決めるのはアメリカだ。そういうふうに見られてもしかたない面がある。
そういう憎悪に満ちた感情を持った国々がイスラム諸国である。毎日のように報道されている自爆テロももとを辿ればアメリカが種をまいた。中国や北朝鮮も決して謝らない国だとして知られているがアメリカもそれ以上にそういう体質がある。朝鮮戦争,ベトナム戦争,湾岸戦争,アフガニスタンへの執拗な爆撃。何かの大儀をみつくろっておこなっているが案外アメリカが出てくることが迷惑だったりするし,アメリカがまいた種だったりもする。ベトナムに大量の枯れ葉剤をまいて何がしたいんだろう。アフガンにあんなに大量の爆弾を投下したり,沖縄に鉄の雨と言われるほどの砲撃を加える意味って何だろう。本当に広島,長崎に原子爆弾を投下しなければならなかったのか。爆弾の投下されるところにはふつうの生活を営んでいる庶民がいる。
もしかすると日本の人もベトナムの人もイランやイラクの人も韓国朝鮮の人もアフガンの人も心の底ではアメリカに抗議したいのかもしれない。
ブッシュ政権はイラクに対していかなる武力行使も辞さないと躍起だっている。それに同調しているのはイギリスだ。かつて多くの国を植民地にして現地の人を奴隷のように扱った国だ。インドもエジプトも悲惨な目にあった。しかし,アメリカ,イギリスが謝罪したことはない。
日本は戦争を起こして多くの悪いことをしたと教科書にまで書かされ,国民に悪いのは日本だとこれでもかと認識させられている。でもよくよく考えてみるとアジアは西洋諸国にとって格好の植民地候補だった。第2のアフリカだったのだ。その植民地政策も順調に進んでいたが一番東の国日本が手強かった。日本だけが西洋諸国に対等の立場を保てた。おんぼろ船ながらも日露戦争後白瀬隊は南極大陸を踏破した。もし日本がなかったらアジアはいとも簡単に第2のアフリカとなっていた。アジア人も白人のために働く奴隷となっていた。現在の世界地図はすっかり違ったものになっていただろう。
アメリカの悲劇はそのことを国民が分かってないことだ。愛国心の名の下にアメリカの真の姿がぼやけている。貿易センタービルが攻撃されれば確かに興奮して激怒する。でもその原因を考えようとしない。やられたらやり返すだけ。右のほおを殴られたら両方のほおを殴り返すのである。やはり脅威である。

日本人にもっと国際感覚を磨いてそれに対する感覚を鋭くすることが必要だ。数年前は日本as No1と言われ世界の中でも一流と見なされいつの間にかその事が当たり前になってしまった。驕ってしまった。
日本が調子に乗って踊らされている間に他国は密かにまた大胆に躍進してきていた。つまり日本の存在は相対的に急落した。それがバブルであり現在の社会の混乱,経済の低迷,教育の狼狽であろう。世界に敏感であったはずの日本がいつの間にか井の中の蛙になってしまったことが悲劇の始まりであった。
国内だけを見つめていては国際競争力はますます低下する。教育水準が下がり所得が減り安全まで保障されなくなる。さらに国外からの農産物の輸入に頼り地価の崩壊がおこる。そして利権を守る一部の官僚に政治が牛耳られ貧富の差が生まれる。暴動,内乱が起きて国家が滅亡する。ローマ帝国の崩壊の方程式が思い出される。
日本は金になる資源は何もないことを前提に政治,経済,教育を考えなくてはならない。日本を支えているのは勤勉さと頭脳だろう。その唯一の外国に対抗できる武器がなくなった。日本には怠慢と無能さが蔓延しつつある。
今こそ世界を見つめる目が絶対必要なのだ。現実を見つめる厳しい目が必要なのだ。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

キレる子供キレる大人

先日新聞に子供の国語力崩壊寸前?の記事が掲載されていた。その内容の概要は次のようです。
図書館で本を借りたことがない、宿題や授業でしか本は読まない、という子供がそれぞれ2割前後いて中学、高校教師の8割は子供の国語力は低下していると感じている。読書離れの傾向は学年が上がるに連れて深刻になっており教師の多くは大人や教師が本を読まなくなったことを原因に挙げた。同時に行った漢字の書き取り調査では小学4年で習う「積む」を書けない高校生が5割近くに上った。
不登校の生徒も昨年度1年間で小中学生が14万人近くいるそうだ。その原因は小学生では「極度の不安」「無気力」など本人に関わる問題が約30%、親子関係が17%、いじめなど友人関係は11%。それに対し中学生は本人の問題は約30%で、友人関係22%、学業不振10%と学校生活に関する問題が引き金になることが多い。
これは中学生になると部活動によって先輩、後輩、同級生など人間関係が複雑になりそれに対応できず不登校の一因になるだろう。部活動によっては朝練週、また放課後の練習も7時を過ぎることもかなりある。
生徒の生活の中ではかなりの部分を占めることになる。みんなと同じような行動をとらないとしかと(無視)されたりあからさまにいじめられる(非難される)こともあるだろう。
学業では小学校と違い定期テストの点数が各自に順位とともに手渡され相当のプレッシャーがかかってくる。小学校でのんきにしていた生徒は授業も分からなくなり点数も悪くなり不登校の大きな原因となる。
家にいてもゲームをしたりテレビを見たりしていればそれなりに時間はつぶせる。その上親がそのことに理解を示してくれれば願ったりかなったりである。しかし、それは自分にとって(親にも子供にも)大きなつけとなる。まさしく不良債権の先送りである。その時はよくても問題は解決していない。あとになればなるほど問題は手に負えなくなる。引きこもりの温床だ。その次に考えられるのはキレる大人の予備軍だ。
イギリスではそのような生徒のためにフリースクールが充実しているそうだ。日本でも学校があることはあるがあまりうまくは機能してないようだ。不登校の生徒の数が物語っている。
生徒には自分を認めてくれる居場所が絶対必要だ。自分を認めてくれるということは口で言うのは簡単だが実はとても難しい。自分が活躍できるステージが必要です。スポーツでもいい、勉強でもいい。
ひょうきんな性格でクラスの人気者でもいい。クラス一の読書家でもいい。自分が自分であるというアイデンティティー(自己証明)が必要なのだ。
いまの生徒は国語力が低下している。すなわち表現力が不足しているのだ。自分をうまく表現できず他人に分かってもらえない。イライラする。ムカついて我慢がきかずキレてしまう。
大人も教師も本を読まなくなった事も気にかかる。本を読まないことを子供だけのせいにしてはいけない。こういうおもしろい本があるよ。「先生(お父さん、お母さん)は小さい頃読んで感動したな!」と言えば子供は興味を持って本を手にするかもしれない。
本を読まなくなったことは表現力がつかないだけではない。ストーリーを読み進んでいく力や先を読む予測力を養う場も失ってしまう。最近では凶悪犯罪が日常茶飯事になって毎日のように報じられている。道徳観念(モラル)の低下もさることながら基本的な予測力が欠如しているから凶悪犯罪にブレーキがかからないのだ。子供にとって怖い存在が不在となった今、こうしたらこうなるということを言って聞かせることが必要だろう。小さいときの躾(よく言って聞かせること)がのちのち効いてくる。
以前はお父さんが怖い存在だったり、近所のおじさんだったり、先生だったり、お巡りさんだったりしたものだ。悪いことをすると押入にいれられて怖い思いをした経験は昔は誰でもしている。悪いことをするとどうなるか体験を通じて教え込まれた。
教師の資質も問題がある。教師が生徒の個性を見抜きそこを上手に演出してあげる。今まで目立たなかった生徒が突然輝き出す。これが教師の大きな仕事なんです。クラス運営はそれでいい。管理することではない。みんなが個性を出せておもしろい、いいクラスができる。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

教育改革は進んでいるか 教育における規制緩和

教師を育てていくということは校長や教育委員会でもないし文科省でもありません。それは教師と一番身近に接することの出来る生徒とご父兄です。教師もいつも完全というわけにもいかず、ときには間違った指導方法をとってしまうこともあります。しかしそのことについて反省する態度が備わっていればよいのですが、すべての教師がそうだとは言えません。自分の判断である程度かなりの部分自由がきいてしまうのです。そこに盲点があります。何のための教育なのか指導なのか本当の意味がぼやけてくることがあります。生徒をよい方向に変えていく、伸ばしていくことが前提であるはずの教育がややもすると逆に悪い方向に変えてしまったりすることもあります。
生徒を伸ばしていくためにはさまざまなアプローチ(接近)の仕方やメソッド(方法論)があります。
大切なことはその指導方法に対して生徒も父兄も納得して同意しているかです。授業の進め方にしても評価の仕方、クラス運営。部活動運営。そういったものに対して学校側(校長)の姿勢が徹底しているのかです。
少しでも疑問点や納得がいかないときは遠慮なく学校に問い合わせてみることです。そのことで生徒の印象や評価が悪くなることはありません。かえって学校に無関心すぎると生徒に不利に作用することがあります。

実際に父兄がおとなしい学校に多少問題のある教師が回されているという話もあります。
実際どんなに小学校、中学校、高校が変わろうとしても大学の受験のシステムが変わらない限りただの看板のすり替えにすぎません。結局は大学入試で点を取るために同じ出口に向かっていくのです。
よく生徒のやる気がないなどと言われますが実は教える側にも十分問題があります。時代に即さないことを何十年も話し続けている教師も大勢いるのです。
県内でも優秀と認められている県立高校で英語のノートの取り方まで強制され、それに従わないと減点という非常に稚拙な指導が行われています。(それも英文を書き写しそれに全文和訳をするというもの)こういうやり方もあるというアドバイスならともかく減点という卑劣な手段を使ってそれを押しつけることはどういうことなのでしょうか。学習には個人のやり方があって当然のはずです。しかもその個人のやり方で十分満足のいく成果が出ているのならなおさらでしょう。生徒の足を引っ張ることにしかなりません。英語を話すためには英語で考える習慣が必要なのです。そのためにはなるべく頭の中から日本語を追い出さなくてはならないのです。
小学校でも総合学習の時間にメダカの研究がしたいと言えばそれは理科でやることになってるからダメだ。それは社会で後でやるからやめたほうがいい。結局規制緩和をうたいながら規制強化になっていることもあります。

時間の使い方
~プランを立てる能力 ・実行する実直さ~

夏休みが始まってすでに一週間が経ちます。毎日が計画通りに進んでいるでしょうか?計画は立てたもののやっぱり無理だったということにならないようにするにはどうしたらよいでしょう。まずは一日にリズムをつけるために何か決めたことをするといいと思います。新聞を読むことでもよいし、スポーツをするのもよいでしょう。一人ですることが難しければ友達とあるいは親と約束してとりかかるのもいいと思います。ある程度時間の制約があって初めて時間の使い方に工夫が凝らされてきます。
そして最初に立てたプランを実行するのが困難であれば思い切って計画を変えてみて下さい。大切なことはプライオリティー(優先順位)なのです。いまの自分にとって何が一番大切なのかを考えプランニングしていきます。受験生であればやはり学習時間を多くとりたいでしょうし、何かの大会があればそれに向けて十分練習したいでしょう。その次に自分の好きなことを入れてよいと思います。緊張とリラックスをうまくとり混ぜて計画を立てることがよい結果を生むと思います。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

石垣、西表への旅

4月2日,火曜日。早朝3時起床。3時30分にBAUを羽田に向かって出発。総勢15名を乗せたバスはまだ暗い関越を走り抜ける。今回の旅で年齢の違う生徒が互いに協力し「自然との対話,共存」を理解し体験する。いままでに経験したことのない冒険の旅になるだろう。

冒険の旅
勇気を持って
漆黒の闇夜を抜け
希望を持って
一条の光をめざし
未知の体験を喜び
未見の知識を尊び
生きる喜びを知る
これを人生という

5時30分頃に羽田に着く。自分がはじめてアメリカに旅立ったのもこの空港だった。その時はとてつもなく大きく感じた。どの航空会社の航空機に乗ったのかも分からなかった。
ANAのカウンターでチケットをもらい機内に預ける荷物の手続きを済ませそのまま搭乗口へ行く。搭乗口は26番ゲート。6時55分那覇に向かって羽田を飛び立つ。
石垣空港に着いたのは午後1時をちょっと回ったところだった。レンタカー会社に行って予約しておいた8人乗りのバンを2台借りようと思った。すると東京の旅行代理店からの連絡が不備でバンがないという。なんとかできないかと交渉してどうにか10人乗りのバンと5人乗りのディンゴを借りることができた。旅にはハプニングがつきものだ。
それから石垣全日空ホテルリゾートへ向かう。5分くらいで着く。ホテルでチェックインをすませ各自の部屋へ別れる。沼田先生が駐車場からなかなか来ない。何をしてるかと思えば車がバックギアに入らず悪戦苦闘していた。結局レンタカーの人が来て入れるコツを教えてくれた。なかなか入らないで入ったと思ったらトップで少しずつ前進していた。
ホテルの部屋はまあまあ広くていい部屋だった。各自荷物を解いてから海へでる。天気があまりよくなく曇りがちだと聞いていたが,たまたま陽がでてきた。「曇ったり,雨が降るともう泳げないかも。」と言ったらみんなビーチにでてきた。ビーチには誰もいなかった。海の水はまだとても冷たく感じた。みんな大騒ぎで泳いだ。ワイルドな集団だった。
大浴場で温まったあと,2台で石垣市内へくり出す。みんなお腹をすかしているらしくお寿司がいいとか,ラーメン,八重山そば,どんぶりもの,いろいろ意見が出たが結局バイキングになった。
コーヒーゼリーにアイスクリームを乗せたデザートをつくって食べた。それが一番おいしかった。みんなにもつくってあげた。喜んでいた。美枝ちゃんがタンを食べ過ぎてあとでお腹が痛いと言っていた。


2日目
朝食バイキングがついたのでみんな早起きしてまたものすごい勢いで食べていた。洋食,和食。取り混ぜて食べていた。みんな元気だ。
一休みしてから次の日に行く予定の西表島へのフェリー乗り場を下見に行く。ホテルから5分くらいのところだ。8時30分の大浦港行きに乗る予約を取る。それから車2台で北の方へむかう。しばらくすると唐人墓地,そして黒糖工場に着く。黒糖工場で黒糖,ちんすうこうなどのお土産を買う。ヒデがサトウキビの茎を10本くらい買っていた。
さらに北へむかっていくと灯台に着いた。御神崎灯台だ。とても眺めがよく,このあとに向かう底地ビーチも見えた。みんなして写真を撮った。ヒデが,興奮して,崖のぎりぎりのところまで降りていた。
底地ビーチへ行く途中,夕立になった。午後二時を回っていたが,みんな興奮していて,お腹がすいたのも忘れていた。底地ビーチは,石垣で一番きれいな海ということだった。雨がざーっと降ったりやんだりしていた。どうせ濡れるんだしってことで海は少し冷たかったが,みんな泳いだ。またしても海には誰もいない。ワイルドな集団となった。
ヒデが,ウミヘビを見たというので,みんなで,でっかい騒ぎをした。雨もすっかり上がって青空がのぞいた。それから,バーベキューになった。沼田先生が料理長となってみんなの指揮をとった。炭を燃やす姿が似合っていた。まさに食の男だった。武藤と福田先生は買い出しに行くことになった。近くにスーパーがあると思ったが全然なく結局,市街地まで戻ってしまった。周りを見たら泊まっているホテルがすぐ目の前だった。サンエイというスーパーで魚,肉,油,紙皿,コップ,塩,こしょう,えび,お茶など買った。
グルクンという赤い魚だった。地元では有名で「沖縄の歌」に『ぼくはグル君』というのがあるということを後で知って驚いた。
やっと,バーベキューが始まったが,ものすごく火力が弱い。みんな,半生のまま食べていた。ちびっ子がすごい勢いで食べていた。最後のメインのえびがでてきたときは,もはや,火力との闘いになった。いま考えると,3~5人用の炭で,よく,15人食べれたもんだと思う。3時間も時間をかけたバーベキューは,初めてだったがとても楽しかった。
穴を掘って炭をいれ,火をおこし火力が弱ければ風を入れる。炭の割り方も工夫する。キャベツを切って入れるものがなければキャベツの葉を利用する。火が弱いなりにみんなで工夫して協力する。魚も自分たちでさばく。エビの殻をむく。いかを切る。生きた学習だ。
魚も火を通せば赤い色が焼き魚の色になり,エビも火を通せば透明色が赤みを帯びてくる。いかも火を通しすぎると固くなる。すべてが新しい発見となる。
小さいものから食事をさせ先輩があとからいただく。みんな仲良く火を囲んだ。自分の自我を抑えることで全体の調和をとることも先輩達は分かってきている。だんだんとリーダーの資質が備わってきたなと感じる。
完全に火の始末,ゴミのあとかたづけを済ませみなでホテルに帰る。途中スーパーに寄って各自必要なものを買う。明日はいよいよ西表だ。

3日目
朝6時ちょっと過ぎに起きてみんなもう朝食をとっている。今日も元気そうだ。7時50分にホテルを出て石垣港に行く。予約しておいたチケットを購入して40分ほどで大浦港に行く。途中すごく揺れた。9時ちょっと過ぎに大浦港に着くが出迎えのバスがまばらにあってどうしたらいいか考えた。そうこうしているうちにすべてののバスが出ていってしまった。
浦内川観光に携帯で連絡すると通常の路線バスに乗るはずだったらしい。なんとか車で来てくれることになった。人数が多いのでどうするのかと思ったら一台がワゴン車,もう一台が軽トラだった。高校生と石井ちゃん,ヒデも軽トラに乗った。軽トラの荷台で大騒ぎだった。
浦内川は思ったよりも大きくこんなに大きい川をカヌーで下れるのかと思った。20分ほど遊覧船で川を上りそこで「マリュウドウの滝。カンピレーの滝まで行って来てください。」と言われた。12時までに戻ってください。時計を見ると10:30。通常の速さで往復90分かかるところだ。ということは速く行かないと滝に行って見学する時間がないということだ。ヒデ,中田,美枝ちゃん,石井ちゃんを連れて先頭に立ってどんどん歩く。歩くというより早足だ。ジャングルの中は大きいシダや見たことのない植物群がわれわれを迎えてくれた。なんとか往復時間を70分に短縮して20分ほどマリュウドウの滝で過ごせた。そこは日本の滝100選に選ばれている滝だ。滝壺は丸くて映画でレオナルドデカプリオが無人島で飛び込んだ滝壺に似ていた。
沼田先生がどっかでジャンプして転んだと幸那と沙代が大騒ぎをしていた。昨晩BBQのあとテニスをして脚にきたらしい。
弁当を食べたあといよいよカヌー下りだ。二人組でペアを組んでカヌーを漕ぐことになった。8キロの川下りだ。カヌーが転覆しないことだけを祈って,川へくりだした。ガイドさんがとても親切で詳しく説明してくれた。川の支流に入ったりした。沼田先生が,「この川の水は淡水?」と聞くと,「いや違う。汽水。」という短く鋭い返答が返ってきた。福田先生が小林先生に似てると騒いだ。確かに似てた。体型もひょろっとしてた。約半分の地点でカヌーから下りて休憩をとった。ジャングルの中に入っていった。20センチにもなる毛虫や八重山サソリがいるらしかった。中田が興奮していて,大騒ぎしているとガイドさんが,「これじゃイリオモテヤマネコは出てこない。」と嘆いていた。そうしたら帰りの道で中田が転んでだ。沼田先生が大喜びで笑っていた。自分だって山で転んでたくせに・・・。(武藤)
残り半分の道のりを出発した。相変わらずガイドさんは一生懸命説明してくれるが,聞き慣れない植物の名前ばかり連発するので,何が何だか分からなくなってきた。途中ヒデが,身体を揺らしながら漕ぐので,カヌーから落っこちた。一緒に乗っていた福田先生は,無事だった。ガイドさんが,「このへんは小型のサメがいる。」というようなことを言ったのでヒデがものすごく慌てて,すごい勢いで福田先生のところまで泳いできたが,福田先生はというと,一生懸命カヌーを漕いでヒデから逃げていた。そのうちにまたガイドさんが,「昔はこのへんに,ワニもいた。」というようなことを言ったので,ヒデはもうパニックだったが,どうにか,カヌーに乗ることが出来た。
そうしているうちにまたカヌーからおりて,今度はマングローブについての説明を受けることになった。オヒルギ,メヒルギ ヤエヤマヒルギと,3種類の名前を言われたが,どれがどれだかよく分からなかった。沼田先生が,「これは,オヒルギ?」と聞くと,「違う,ヤエヤマ」というまた鋭い返答が返ってきた。沼田先生もよく分かってなかった。安心した。マングローブはカニのすみかで何匹か見ることが出来た。
無事に8キロの川下りを終えた。みんな日に焼けたが,中でも沼田先生は,よりいっそう赤かった。最後にみんなで写真を撮った。とても貴重な体験が出来た。
フェリーに乗ってホテルに戻り7時からホテルのバイキングを食べる。そのバイキングがとてもよかった。新鮮な寿司,石垣牛のステーキ,カニ,魚,お造り,サラダ,ケーキ,アイスクリーム,コーヒーなど中味が充実していた。みんな最後の晩餐を心から楽しんだ。
本当にエキサイティングな旅だった。

みんな一緒になって大騒ぎをしてとても楽しい旅でした。どうしたらみんなが楽しく過ごせるか一人一人が考え,そして行動できた旅となりました。誰かがお腹が痛いときは面倒を見て,熱が出たときは真剣に看病しました。そしてよくなったときはお互いに笑顔で向き合い本当の友情を感じあえました。旅の前にはみんなで沖縄のことを研究発表していろいろなことが分かりました。沖縄の自然,地理,歴史,文化。それに基地問題。簡単には理解できない面もありますが実際に足を運んで得た知識や経験はとても応用のきくものとなります。
昨今,不登校やいじめ,さらには犯罪の低年齢化が耳目を集めていますが沖縄の青空の下,みんな最高の笑顔を見せてくれました。一回り大きくなって帰ってきました。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

マイペース・イリュージョン

マイペース
新学期が始まって早くも1ヶ月がたとうとしています。それぞれの学校生活に少しずつ慣れ自分のペースがつかめてきたと思います。部活動にも熱が入って一生懸命することも大切なことです。しかし,自分の体調を自分で整え風邪などの疾病に注意することも同様に大切です。自分の思い描く進路をめざし自分のペースをきちんと見きわめて下さい。
心技体。心とはなにかをする意欲,技とはスポーツでは技術,学習面ではひとつひとつの単元を完全にマスターすることでしょう。体は身体を鍛え体力をつけ体調を整えることです。それらはどれも密接につながっているのです。
心技体のバランスを考えてこの一年を充実したものにしましょう。

イリュージョン
ペイオフが解禁となり金融界も離合集散を繰り返し、さまざまな変化を遂げた。中でも最大手のみずほ銀行は口座振り替えのトラブルが数百万件を超えた。大きいから安心だという考えは迷信となった。金融庁の指図で不良債権の基準がかなり厳しくなり地元の中小企業、零細企業との結びつきの強い信用金庫、信用組合は窮地に立たされているという。信金、信組の人はバイクを走らせ一軒一軒をまわりしっかり地元の人とむすびついている。地元企業の経営者もかなり頼りにしているそうだ。そういった信金、信組がバタバタと経営破綻している。一人一人を大切にするものがつぶされ、大きくて責任の所在がはっきりしないものが平然としている現実がある。いったい大手銀行にはいくらの税金が投入されたのだろう。

厚生省のエイズ問題、農水省の狂牛病問題。外務省の機密費問題。表面化したものだけでもとんでもないものばかりだが結局原因をつくった官庁はほとんどお構いなし。一番しわ寄せをくって苦しい思いをしているのは一般庶民だ。
医療ミスが起きるのもほとんど大学病院などの大病院だ。去年も高崎市の女子小学生が医療ミスのため亡くなった。自分の受け持つ患者がどこが悪くてどうやって治療するか、手術するならなおのこと何度も何度も打ち合わせをしたりシミュレーションしたりするのが普通ではないのか。まるで流れてくる品物のように患者を扱っているとしか思えない。確かに大きい病院にはたくさんの優秀な医者や看護婦もいるだろう。しかし、患者と向き合う担当医は一人だ。そこに盲点がある。責任の所在が曖昧にされてしまう。治れば儲けもの、だめならあきらめるしかない。寿命で済まされる。

本当においしいものを食べたいときはチェーン店に足を運ぶだろうか。どの店でもほとんど同じ味。システムが整っているから手早くいろいろなものができてくるのだろう。確かに値段も手頃で早くて便利かもしれない。しかしそれでは料理人の心が伝わってこない。実際、料理人といわれる人はいないのだろうが。「今日はいいネタが入らないので、出来ません。」と言われるほうが信用できる。また目の前で握ってくれる寿司の方が旨い。板さんの顔が見え、手が見え、ぬくもりが伝わる。

BAUも一人一人を大切にする「おいしい学舎」であることを努力し続けます。

完全週休二日制が四月から始まった。しかし、本当に文科省のいう「ゆとり」「生きる力」が生徒に届いているのだろうか。総合学習も新しく導入されるが教師の方もとまどいは隠せないのが実状のようだ。土曜日に補習をする学校もでてきている。父兄や生徒の間で「ゆとりバカ」という言葉まで生まれている。結局、頭のいいものとそうでないもの、富めるものとそうでないものの二分化政策ではないかと思われる。子どもの躾(しつけ)や教育を体よく親に移行した措置だ。しかし躾のしかたを知らない親にとってはこれは最大の難題になっている。愛情を持ってかわいがることと甘やかすことを混同している父兄が多い。愛情を持って接していればそれだけ厳しく、心の中に深く飛び込んでいける。本気で叱れない、躾ができないのは真に愛していないといわれても仕方ない。本当に愛情を持って、自信を持って、二一世紀を担う子どもたちを育てていきたいと思います。


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

足腰の強い教育

今年の受験
今年の中3は本当にがんばりました。各自自分の進路に向けて精一杯努力し各自の目標としたプロジェクトを成功しました。しかし受験はあくまでも自分の進路の通過点。まだまだ先にはたいへんな試練が待っています。うかうかするとあっという間に自分の目指す進路からはずれていきかねません。しっかり遠くを見つめて初心を忘れず努力し続けることが大切です。
BAUでは、高崎高校~名合格、高崎女子高~名合格。そういったことは謳いません。生徒は数ではありません。大量生産できる品物ではありません。本当に手間をかけて、手塩にかけて育てていきます。真剣に自分の進路を考え、努力して合格した高校こそ各自の栄光のたまものです。生徒一人一人と正面から向かいあい、時には分からなくて悔し涙を流し、時には自分の目標とする順位がとれてうれし涙を流し人生の凝縮された時間を一緒に過ごすことができてうれしく思います。またご父兄からも多大なる信頼を置いていただき大切なご子息、ご令嬢の成長の糧としてBAUにお預けいただきありがたいことと思います。今年もBAUの中3は先生方や先輩達に厳しく指導され、あたたかく励まされて全員自分の希望する進路に進むことができました。BAUは生徒一人一人が輝ける財産なのです。

足腰の強い教育
BAUでは各教科の学習をここが試験に出そうだとか傾向がどうのとかはほとんど問題にしません。そういう表面的な学習に慣れてしまうとついつい点数という結果だけに目が奪われ物事の本質に目がいかなくなります。その結果、利己主義になって「自分さえよければよい。」「他人と必要以上に関わり合うのは面倒だ。」という考えになることが多いのです。したがってまっとうな学習をしようとすればするほど時間が必要です。実際どんなに時間をいただいてももう結構などということはあり得ません。学校の予習、復習程度では週2時間くらいで足りるかもしれません。しかし、子どもに足腰の強いしっかりした教育を身につけさせたいと願うなら我慢して見守ってください。自分の大切な家を建てるのに基礎工事を適当に済ませてしまう人はいないでしょう。
今現在、学習していること数学、例えば「ユークリッド幾何」などは2000年以上も前の産物です。もちろんそれをきちんと理解した上で最先端の数学、物理、化学、生物、薬品などと取り組まなければ意味がないのです。まずまずの点を取ってお金を稼いで好きなことをするようなケチな考えは先のある若者が持つべきではありません。
BAUでは21世紀をリードする若者を育てていく理念があります。

テレビ
日本人の生活に良くも悪くも深く関わっているのがテレビでしょう。慣れとは恐ろしいもので毎日毎日テレビを見ているとかなりの影響を受けます。また中毒にもかかります。つまりテレビプロデューサーも視聴率を最優先して考えるので一番人の気を引くもの、刺激のより強いものを演出しようとするでしょう。視聴者に飽きられたら視聴率が下がるので視聴率を稼ぐためにはどんな手でも使ってきます。お金がかからなくて簡単に視聴率が稼げるものは下品なものであったり、いたずらに人の好奇心をあおったりするようなドラマであったりします。
日本の民放の中には小学生、中学生、または高校生に見せるのはどうかと思える番組が軒を連ねています。中毒にかかった生徒は月曜から日曜までテレビの番組表が頭の中に入っていていちいち番組表を見なくても何チャンネルで何があるかわかっています。もうそれをひととおり見ないと一日が終わらない始末です。これから完全週休2日制になります。文部科学省のいう「ゆとりの時間」が多くの生徒にとって「テレビの時間」になるでしょう。
テレビはその国の文化、教養のバロメーターです。番組によってはこれが外国で日本のテレビ番組として紹介されたら恥ずかしいものが少なくありません。言論、表現の自由と世間を無知な方向に向かわせることは違います。テレビはそれほどまでに影響力が強いのです。テレビ番組制作者にももう少し誇りを持って仕事をしてもらいたいものです。
日本人の学力を上げるのはなにも学校だけの仕事ではありません。テレビ、ラジオ、雑誌、そういうマスメディアがリードしていけるのです。よい番組を真剣に考えて制作しているものもあります。それは案外少ないものですからきちんと番組を選んで見る姿勢が大切でしょう。
大切なお子さんを麻薬から守るのと同じくらい事態は深刻です。テレビ中毒から守ってあげましょう


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html

生きる力と親の姿勢

生きる力
「生きる力」という言葉がこのごろ頻繁に耳目を集めている。はたして「生きる力」ってどういうものなのだろうか?先週,中3の生徒とその「生きる力」のについて話した。
「何ごとにも負けない強い意志のことだと思います。」
「がんばる心かなあ?」
「自分で考え自分で問題を解決していく力じゃないですか?」
かなり的確な定義だと思う。しかし,問題はその「生きる力」をどうやって身につけるかだ。「先生,わたし,生きる力がなくなってきてます。」一人の生徒がちょっと冗談めかして言ったがその生徒の目は疲れて見えた。
「なんでそうなったの?」
「わかりません。」
「じゃあなんで「生きる力」が無くなってきているのか考えてみよう。」
話し合いが進んだ。
「余裕がありません。」
「疲れるんです。」
「何かやる気が出なくって。」
「つまんないんです。」
いろいろな声が飛ぶ。

スランプ
「つまらない」という言葉に現代の社会の抱える問題が集約されているように思えた。「つまらない」原因は多岐にわたるだろう。しかし,その大半は『マンネリ化』ではないだろうか?同じことの繰り返し。脳に新しい刺激が与えられなくなり脳の働きが鈍ってくる。ストレスがたまる。いわゆる『スランプ』だ。このスランプ状態に今の日本も苦しんでいる。

わくわくする心
スランプ状態から抜け出て活気ある進歩していく状態(グリーンゾーン)に移行するにはどうしたらいいのだろうか?
「努力する。」
「目標を持つ」
生徒が反応する。
目標を持ってそれを達成したときの『喜び』を想像することが大切だ。「努力=仕事」が「わくわくするような自分に対しての褒美」とつり合わなくてはならないだろう。
その「わくわくするようなこと」がマンネリ化して鈍くなった脳への潤滑油になる。車にもオイル交換が必要だし,暖房にも換気が必要だ。

知的好奇心
「わくわくすることがあまりありません。」そういう声も多い。刺激の多い現代社会においては多少のことではわくわくすることは難しいかもしれない。「どこに行ってもつまらない。」「何をしてもおもしろくない。」スランプ人間が多くなった。
BAU小学生と「その時歴史が動いた~田中正造 足尾鉱毒事件に挑む」を見た。メモを取りながら田中正造の生い立ちから政治活動,価値観。いろいろな角度から考察を重ねる。そういう知識や教養を十分持って足利市,渡良瀬川,館林市などを訪れれば自ずと心の活性化に変化が見られるだろう。


親の姿勢
コミュニケーション
親子のコミュニケーションの重要性,必要性がさかんに叫ばれている。「そうか親子のコミュニケーションは大切なんだ。それでは遊園地にでも連れて行くか?」そう考える親も多い。
最近,小学生が「思い出に残る旅行」という題で作文を書いた。内容をみてちょっとびっくり。アトラクションがおもしろかった。景色がきれいだった。混んでいた。そういう話がでてくるがご両親のことはいっさいでてこない。「いいんだよ。そこまで連れて行ってくれれば。車の中で寝てるし。あとはお金だいね。」そういう声まで出る始末。
親も手っ取り早く子どもが喜びそうなところと考えてディズニーシーやディズニーランドを選んでしまうのだろうが楽しすぎて親の存在が消えてしまっているのではと感じる。せっかく一日を一緒に過ごせるのならもっと違うコミュニケーションのとりかたがあるだろう。それこそ総合学習の時間となる。総合学習はそもそも学校以外で学ぶものだ。親子の会話や電車に乗ったらお年寄りに席を譲り,車を運転していたら歩行者に優しくしたり,他の車に前を譲るといった親の姿こそ立派な躾であり総合学習の基礎となる。親の背中から子どもはすべてを吸収してしまう。相田みつを氏は言う。
『育てたように子は育つ』


納得するまでの学習BAU福田塾
http://www.baufukuda.com/index.html
プロフィール

BAU福田塾

Author:BAU福田塾
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード