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デジタル化への警鐘~辞書が引けない高校生

最近、高校生に英語を教えていて驚いた事がある。なんと英和辞書が引けないのだ。普段から電子辞書に慣れ親しんでいるため、普通の英和辞書は高校入学時に購入したままほとんど手つかずの状態で保管されていたらしい。さらに悪いことに、学校で推薦されていた英和辞書が彼らのレベルに合っていなくまったくの的はずれの代物だったことである。推薦されていた物は、高校三年になってかなり英語の専門の道に行こうかなと思う学生には適当だといえる。それは、2冊目、3冊目に段階を経て購入すべき物だった。辞書は使いこなして初めて、その真価が理解できるし、価値が出てくる。

試みに高校生にある単語を引かせてみたところ、これが驚くほど時間がかかり、挙げ句の果てに、ありませんという答えまで返ってくる始末。「もっと後ろの方じゃない?」と声をかけてみると、やっとページをぺらぺらとめくり始める。さらに聞いてみるとアルファベットの順番がよく分からないという。「ABCの歌を歌わないと分かりません」などと冗談のような声まで聞こえてくる。

電子辞書には大量の情報が軽量でコンパクトに納められている。さらに、瞬間的に欲しい情報を提供してくれる。学生たちはまるで電子辞書を第二の携帯電話のように上手に使いこなしている。それはそれでいいのだろうが、一般人と学生の違いは何かと考えるとそこに違和感を感じざるをえない。一般人はその瞬間により速く、より正確な情報を求めるが、学生は彼らの記憶にインプットしていかなければならない。手間をかけて初めて自分のものになるかもしれないのだから、電子辞書を使っている限りその単語は彼らのものになるのは難しいだろう。

英和辞書が上手に引けないというのは頭の中がデジタル化されすぎてしまった結果、人間の頭脳にうまく適応していないという一つの現象なのだ。計算をするにしても、頭の中にそろばんが思い浮かべばだいたいの目安なりがついて、人間の脳も適応できる。車のスピードメーターにしてもデジタル表示だといったい何キロ出ているか実感しづらい。アナログ表示だと数字の連続だけでなくイメージの連続になるので分かりやすい。財布から現金を取り出して一回一回支払うのは手間がかかるし、財布も小銭が増えて重くなって運びづらい。カード払いなら軽く、いちいち現金のやりとりもしなくて済むし、ポイントだってつく。いいところばかりあるようなイメージだがついついお金を使いすぎてしまわないだろうか。

車にもコンピュータが搭載され、さまざまな機能が付随して付加価値をつけている。カーナビもあるととても便利だがそれに使い慣れるとカーナビのない車には不便で乗れなくなってくる。つまり、人間の脳をコンピュータに委任した格好だ。最近ではすべて電動でする方が人間の手でするよりもよい、という先入観で社会が動いている感がある。高級車では、運転座席の位置まで何人か分まで記憶するというモノまであるが手動で動かした方が正確に移動できると思うのだがどうだろう。

東大生ノートというのが今、売れていると言う。罫線にドットを入れたモノなのだが図形や図表、ノートの仕分けに便利だという。つまり、手作りできれいに仕上げることが大切だということだ。もちろん、ぱっと見てきれいだから、文字もきれいに丁寧に書くし、大きさも、色分けも工夫できる。教師に与えられたすでにまとまったプリントを利用するだけでは頭に入ってこないということかもしれない。考えてみれば、印刷機のない時代、本は借りてそれを手で写本するのが普通だった。その方が、かなり手間はかかるが、書き写しながら印象深い分は心に深く刻まれていったんだろう。手間のかかることは現代の人にとっては面倒くさいの一言ですまされてしまうだろうが、手間のかかることで得られるものを多く失っていることも確かだ。

速くて、正確で、便利な方がいいという先入観的イメージは本当に人間の脳に適しているのかもう一度検討してみる価値があるだろう。科学がどんなに進んでも、人間の脳には何か温もりを感じるもの、どこか郷愁的なもの(ノスタルジー)を求める部分を求めるところがあるのではないだろうか。



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知的冒険の旅

冒険と言うと、つい肉体を酷使する冬山の登山やアマゾンのジャングルを思い浮かべてしまいがちだが、頭を使って、難しいとされる課題や問題をクリアしていくことも知的冒険にあたる。冒険と言うからには簡単にクリアできるものではそうは呼べないし、かなりの程度の達成感や充実感が得られなければ脳からのエンドルフィンが出ないだろう。ハードルは高ければ高いほどよい。1年の初めに自分なりのハードルを設定してみてはどうだろう。
しかし、実際はかなり難しい作業だと思う。なぜなら現代人を取り巻く今の環境はテレビ、インターネット、携帯などさまざまな情報に溢れ、人がそれらにコントロールされているからだ。さらにハード面だけでなくソフト面でも人間の頭脳にまでメディアは入り込んできて思想までもコントロールし始めている。情報が制限されていた戦時中と同様、情報が横溢している現代でもメディアによる洗脳はかえって簡単なのかもしれない。この洗脳から逃れるためには積極的に、能動的に知的作業進めるしかない。例えば、読書。自分のペースで読んでいける。つまらなかったり、疲れたら休み、お茶で飲めばいい。

まだ小さい子供のいる家庭では子供が自分で目標を設定するのは難しいだろう。そういう場合は親が簡単に広告の裏で作れるクイズを出してあげるといい。新聞に出ている漢字、都道府県名、特産物、国名、都市名、計算など知的好奇心を刺激するだけでいい。そのときは学校の勉強と関係ない内容がいい。人は覚えなければならないという抑圧された環境下では能力が発揮できないからだ。その積み重ねが後になって効いてくる。蒔かぬ種は生えぬ。

現代人の中には変化を望まない人も多くいることも確かだろう。自分のリズムを持ち、ペースを保ち勉強でも、仕事でもルーティンとしてこなしていくことは大切だ。しかし、人は同じことを繰り返していると、そこに必ず「飽き」が来る。それをmannerism:マンネリズム(形式にはまること)というが、そこから仕事の効率は下がり始める。仕事のできる人はマンネリズムに陥る前にすでに新しい変化を求めて次のハードルを設定しているのだ。

さて、ハードルをクリアして行くには簡単にどんどん進んでいける場所とある程度行くと、細い道や、急な坂道、舗装されていない道、さらに登って行くには絶対不可能に見える断崖絶壁、はたまた絶対に降りられそうもない深い峡谷がある。ロールプレイゲームもそういう感じになっていると聞いたことがあるが、これはゲームではなく実践の知的冒険なのだからさらにおもしろいと思う。

例えば、日本にいれば日本の文化の良さも分かりづらいし、他の文化も理解できない。ある国に何度も足を運び、言葉も少しづつ理解し風俗習慣に慣れることによってようやく自分の中に変化が生まれてくる。最初は言葉も理解できないのだから、文化も考え方も分かるはずがない。分かるような気がしたのは表向きに過ぎない。しかし、その表面から水が深く浸透していくように内面に向かっていけばいい。

自分で立てた計画も、時には変更を余儀なくされることもあるが、落ち着いて違うルートを探しどんなに手間がかかっても必ずアタックし続けることが大事で、ここで忍耐力が試される。今までに読んだ本を読み返してみると、最初に読んだときに見落としていた箇所が見えてくる。さらに二度、三度と繰り返しているうちにさらに違う見方もできてくるからおもしろい。今までやっとクリアしていた箇所が楽になった分、余裕ができて違う箇所が見えてくる。「いいことに気付いた!」と思わずにんまりしてしまう。壁を乗り越えられるきっかけがつかめた瞬間だ。

旅は、ただ先を急ぐのではなく来た道を踏み固めることも大切なことだ。どの旅人もきっとここで長逗留したんだろうと思いをはせながら、そこでの滞在を楽しむ余裕があっていい。旅路を急いで目的地に早く着いたところで何があるわけではないと今の状況を楽しめばいい。その状況をつらいと思うか楽しいと思うかで結果は全然違ってくる。そして違う環境に長逗留すると自身に変化が起きてくる。その変化も楽しみの一つで旅の醍醐味でもある。



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