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未来を切り拓く力~開拓者精神

何もないところで自分のちからで何かを作り上げていく。

開拓者精神と言えば普通、アメリカ新大陸に渡り、そこで先住民の協力を仰ぎながらも自分たちの町を造っていった。道を造り、学校を造り、教会を造って、時間があれば友達の家を造り、次第に町を創造していった。そういう過程を想像する。

未来を創造することは未来を約束された若者の特権だろう。しかし、未来を保証された日本の若者が将来を見なくなった。自分たちの将来を語らなくなった。夢や希望を捨て始めた。今日、多くの日本人が携帯やインターネットに何時間も費やしている。メールをやりとりしたりやゲームを楽しんでいるかもしれない。または新しい情報を得ているのかもしれないが、それらは最新の過去のニュースだ。過去の大量の情報から知識を得て、どこのお店が安いとかどこのレストランがおいしそうだという短絡思考に陥って情報に振り回されてしまう。

他人の流す情報も参考にはなるだろうが、危険もあることを承知しないといけない。携帯を持っ多くの中学生、高校生は自分をコントロールできないで片時も携帯を手放すことができない。携帯だけが自分と友人、ひいては自分と世間をつないでくれるツールとなってしまう。日本の携帯は多機能で世界でも有数のクオリティーを備えている。しかし、その普及率は世界的にはほんのわずかでしかない。つまり、日本人が必要だと思わされている携帯の機能も世界の人々はそこまで要求していない。日本人は多すぎる機能を備えた高額の携帯を買わされているのだ。

過去ばかりに目がいくから将来のことに気がむかない。とりあえず自分に関係ないから政治にも関心がない。当然、若者の投票率も低い。投票率が低ければ政治自体、若者に対して無関心になってくる。無関心というのは将来大きなつけが回ってくることだということを不幸にして若者は分かっていない。

子供時代は開拓者精神を学ばせなければならない時期だ。
そのためにはモノを与えすぎてはいけない。足らないくらいがちょうどいい。足らないから我慢することを強いられ、工夫することを学び、努力することを覚える。親はこのことを肝に銘じて欲しい。しかし、現実は子供がつまらなそうにしているとテレビを見たいだけ見せ、ゲームを買い与え、好きなだけやらせてしまう。それでは工夫や努力、忍耐を学ぶどころか少し不満そうにすれば何でも与えられるというわがままでたちの悪いキレやすい性格をつくってしまう。こういう性格の子供は学習にも向いていないし友人関係もうまく行かない。自分の好きなことはするが嫌いなことはしないので友人からは次第に敬遠されるだろうし、学習面でも偏ってしまう。

たいていの場合、成績が不振なのは勉強が難しいからではない。勉強のしかたが分からないのは我慢がきかず工夫して覚えることができないことが原因だ。分からないところを教えるのは簡単だがそれを点数に反映して、結果を出すには子供にもう一度最初から開拓者精神を体験させなければならない。親に考慮して欲しいのは成績の数字(点数)だけでなく、自分の子供の心の変化だ。数字という結果ばかりに目を奪われているようでは、子供を冷静に見ることはできない。心に変化をもたらすことができれば結果は自然についてくる。親にも我慢が必要だ。

大人が若者に嫉妬する時、それは彼らが目を輝かせて未来を語っている時だ。金はなくても意気揚々と未来を切り拓く姿勢、そしてさまざまな困難を若者のパワーで乗り越えていくたくましさ。坂の上の雲を目指すような純粋な輝く目は、若者に与えられた贈り物なのかもしれない。



納得するまでの学習BAU福田塾
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走馬燈~甘いキャッチフレーズ

最近、海外旅行はずいぶん便利なった。行きたい場所を旅行雑誌や代理店、またはインターネットで調べ、日数や予算、オプションなどを伝えればあとは出発地点に行きさえすればよい。「憧れの~」「魅惑の~」や「極上の~を満喫」などの甘いキャッチフレーズに誘われて、旅行をする人も多いだろう。出発地点の空港に着くと係の人がいて参加者からパスポートを集め、それを搭乗券に変えて戻ってきて名前を点呼しながら案内パンフレットとともに参加者にお渡しする。現地に着くとまた別の係の人が「~ツアー様」と書かれた札を持って出迎えてくれる。そして、大型バスが空港から全員を乗せて各ホテルまで送迎。係の人がホテルでもチェックインの手続をしてくれる。万事順調にいくのが当たり前。

「魅惑の~」に誘われて実際に現地まで来ては見たが回り中、日本人でせっかくの海外なのに日本語が飛び交う。異国情緒もあったもんじゃない。現地のガイドさんの日本語の説明をなるほどと聞いて、「kokode oshashin o otorikudasai」と写真を撮るのを促され、それじゃあとばかり記念写真を何枚も撮ることになる。連れて行かれるショップもレストランもすべて日本語が用意されていて何の苦労もしないで買い物も食事もできる。

旅行をしたあと、どんな記憶が残ったかというと曖昧模糊としていてあまり実感がない。せっかくあれだけ見て回ったんだから、もっと心に残る印象があっていいはずだと考えるがいっこうに思い出せない。たくさん撮った写真を眺めてみるが、友達と一緒のピースサインばかりが目立って肝心の旅の情趣などはどこにもなかったりする。道に迷って、現地の人と片言でもいいから彼らの言葉で話をしたり、電車の中で蜜柑をもらったりとか、日本のお菓子を勧めるだとか、そういう自分からした行為があって初めて、そこの空気を感じることができる。

自分から何もしないでじっとしているままで、目に映る景色が次々に変わっていくようなおもてなしのような旅行は実はイリュージョン、幻なのだ。この走馬燈のような現象が今は日本中に蔓延している。ただ甘い言葉に乗せられ、バスや飛行機に乗せられているだけでは、一見美しい光景が目の前を過ぎていくが、それは映像の世界と同じで実存しない。目の前にある風景が実存するためには、自分の足で大地を一歩一歩、踏みしめて前進するほかないのだ。

今日、危惧されるのが実在と虚構が混在し始めたことである。デジタル化が人間のアナログの感性を崩し、人間の領域を陵駕し始めた。デジタル化によって微分から瞬間に社会が移行し、人間から想像力を奪い、仕事も奪った。数字だけが社会を支配し、その数値によってすべてが計られるようになり、医療、経済、教育、エンターテインメント、あらゆる分野で数字が主役となった。現実の人間の生活とかけ離れたところで社会が動いている。

竹中平蔵元財務大臣と小泉元首相の掲げた構造改革がデジタル化に拍車をかけた。「痛みに耐えて」と国民に訴えたがそれが「永久に」だとはほとんどの国民は思わなかった。
貧乏人は虚構で生きていかねばならず、さらにその子どもは事実上、階級闘争という試合にも参加できなくなることが懸念される。

インターネットの普及も日常生活において便利になった側面もあるが、同時にたやすく同病相憐れむ仲間を捜せるようになった。そして、弱者はさらに弱く、強者は弱者を見つけると徹底的に叩きのめすダブルスタンダードの場となった。

「転がった分だけうまくなる、氷にたたきつけられた分だけ強くなる。あとは自分を信じるだけ」キム・ヨナ選手の言葉は今の時代、国境を越えて心に響いた。



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