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蓬の中の麻?

日本製のテレビは高品質で多機能、画像もきれいで録画も簡単。今やその技術は、3Dの領域まで達し、さらなる進歩を遂げている。しかし、それとは逆行して番組内容の程度の低さはもしかしたら、世界一かもしれない。質を落とす原因としては視聴率競争がある。視聴率が下がるとスポンサーがつかない。するとすぐに打ち切り。手っ取り早く低コストで視聴率を稼ぐために、重用されているのが今の「お笑い芸人」と称される人たちだ。
少し、名前(コンビ名)と顔が知られると芸でなく、トークで番組を作り上げる。俗に言うバラエティー番組だ。彼らの隣には局アナを配置してさらに低コストを計る。因みに子供の学力が高いことで知られているフィンランドではバラエティー番組というものがなく、討論番組、ニュース番組、ドキュメンタリーが大きな割合を占める。親子でそういう番組を見てさまざまなことについて話をする。家庭が子供に教養を身につけさせるのが当たり前なのだ。
CMの前にもったいぶるように映像を止め、CMの後にまた映像を繰り返す手法も辟易する。芸人のトークもただの内輪話に終始しているようでまったく面白くない。または彼らをどこかの国に行かせて危険なことや、演出的にうけることをやらせて視聴率を狙う。テレビの制作者は本当に面白いと思って作っているのだろうか不思議に思えてくる。
視聴率を稼ぐためにマスコミは挙って世論調査を行う。政府の支持率が何%下がっただとか、政治と金の問題で辞職すべきが何%だとか数字を並べ立てて、それが民意であるかのように書き立てる。そして、それを裏付けるようなテレビの街角インタビュー映像が何度も流され、さらにテレビのコメンテーターが国民の代弁者のような顔で追い打ちをかける。こんなのを四六時中、洗脳のように見せられたらどんな政権も、政治家もひとたまりもない。
そんな中、鳩山首相が辞任してしまった。というより辞任に追い込んでしまった。マスコミがこれは叩ける、すなわち視聴率や購買部数が取れると思ったターゲットは徹底的に追いかける。政治報道も小泉政権あたりからわかりやすい、人受けするキャッチーな言葉がもてはやされ、バラエティー番組の体をなしてきた。
マスコミが発表する数字はいくらでも操作がきくことを理解していないとマスコミに呑み込まれる。世論調査にネガティブな要素ばかりを事前に聞かされてから回答すればネガティブな反応が起こる。せめて、ポジティブな要素も取り入れるか、もしくは何の刷り込みもなく調査しなければ信憑性が薄れてくる。人間は数字に弱い。日本人は風評に流されやすい。納豆やバナナ、心太など思い出されるが、街角で赤いシールを貼っていく調査らしきものもかなり胡散臭い。

マスコミが受験戦争といういかにも物騒な言葉を生み出し、さらには受験地獄という怖い言葉まで持ち出して、詰め込み主義が悪の権化であるかのように報道した。そして、政府もマスコミもゆとり教育を無批判に積極的に導入してきた。日本の教育の改善点は時代の変化とともにあったろうが、国際レベルではトップであった。それを最悪の状態に改悪してしまった失政は傷が深い。子供たちがだんだん勉強しなくなり、学力が下がっているにもかかわらず政府とマスコミは学力低下と意欲低下を黙ってみていた。子供の世界は競争させないでのびのび育てましょう、しかし、その一方で大人の世界はアメリカ型の超競争社会になっていくという温度差が広がり始めた。
マスコミ関係者にしろ、政治に携わる人にしろ、彼らは一流大学を出ている、いわゆるエリートだ。そのエリートが勉強しなくてもいいと世間には公言しながら、自分たちの子供たちはアメリカンスクールやインターナショナルスクールに入れて、アメリカやイギリスなどに留学させている。グローバルな世界で生きて行くには英語の他にさらに中国語やフランス語、ドイツ語、ロシア語などが必要だと分かっているのだ。
子供たちに現実を見せ、真実を知らせ、だから何をすべきかを考えさせることがマスコミや親、指導者の使命だ。子供にこれが出来たら何を買ってあげるということも、目先の手っ取り早い視聴率稼ぎと同じで効果はすぐ消える。逆に子供の持つ本当の好奇心や向上心を削ぐこととなり、何かの代償がないと行動に移さないという怠惰な性格を作ってしまう。
子供が純粋な学びたいという心を育てられない国は品格のある国とは言えないだろう。日本が麻の中の蓬になる品性を具することを菅新政権に期待したい。



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幻想と現実

小さい頃からいろいろなことをやらせてもらえる子供が多くなった。スイミング、ピアノ、絵画、書道、サッカー、野球、テニス、空手、柔道、英会話など数え上げればきりがない。親の立場からすると、一度始めたことはなんとかある程度までやらせたいと思うかもしれない。
しかし、誰にも向き不向きがあることを理解していないと無駄なお金と時間をかけていることになりかねない。出来ないことを見つけ、この分野では才能がないからあきらめることが将来を見極める大切な判断となる。これも出来ない、あれも向いてないと一つずつ可能性を捨てていく。それが己を知ることになるし、それが大人になっていくことだ。
子供には無限の可能性があるというのは美辞麗句とはまでは言わないが、すべてが神業のように出来るわけがない。人間、出来ることより出来ないことの方が多いのだ。いろいろ出来ないこと、苦手なことを見つけて振り分けて残ったモノが自分の居場所である。誰しも簡単には、イチローや浅田真央、石川遼にはなれないのだ。彼らはチャレンジしたものと才能が幸運にも若い時期に一致していた。
誰もが、たいした努力もなしにあれも出来る、これも出来るはずだと勘違いしているところに現代社会の危うさがある。その誤解に拍車をかけているのが携帯やネットだろう。それらは、小さな社会の窓口から大きな社会をのぞかせてくれて幻想的な可能性の夢を見せてくれる。しかし、世の中はマンガや映画のようなストーリー展開というわけにはいかない。
いろいろなことをやってみてこれなら何とか続けられるかもしれない。そういったものが見つけられればいいのである。親も自分の子供を客観的に見るべきで、彼らの才能を見極める冷静な判断力が必要だろう。「好きこそものの上手なれ」が当てはまるケースが珍しいのだ。

本当のチャレンジは他人に与えてもらうものではない。自分で戻ることのできない人生の航海に出航することだ。簡単に帰れるのはチャレンジではない。苦しくてつらくて、幾度もあふれ出る涙をこらえて、遠く故郷を思えども帰る場所などない、頼れるのも自分だけという状況を乗り越えて初めてチャレンジと言える経験となり、その人の宝となる。親もそこまで我慢する覚悟が必要だ。子供が大変そうだったらいつでもすぐに救いの手をさしのべるのは、百害あって一利なしだということを肝に銘じた方がいい。
私事で恐縮だが、15才の時に試験を受け、アメリカに留学が決まった時はなんでも自分でせざるを得なかった。それが当たり前だった。パスポートを取得するにも自分で自転車で前橋県庁まで行って申請し、後日またそれを自転車で受け取りに行く。パスポートに貼り付ける写真も一人で写真館に行かなければならない。当時はイエローカードといってさまざまな医療処置をしてもらわないと留学ビザが取れなかった。一人で自転車で前橋中央病院まで行って破傷風や日本脳炎、天然痘などの予防接種を受けなければならなかった。
オリエンテーションを受けるために東京の代々木オリンピックセンターまで何度も足を運ばなければならなかった。経費を最小限に抑えるためにもちろん鈍行、2時間かかって新宿まで行くのでそこでも英語の勉強が出来た。朝の5時の始発に乗って明治神宮のベンチで英語の勉強をまた2時間くらいしてからオリエンテーションを受けた。それでも英語力が足らないと扱きおろされた。
当時の為替レートは1ドル250円くらい。家族が渡米用に工面してくれたお金が10万円。ドルに換算すると400ドル。現在で言えば4万円程度の価値だ。それが日本の国際的な位置づけだった。節約しても必要経費や何やらで400ドルは2ヶ月もたなかった。2ヶ月後には自分で仕事を見つけていた。

「かわいい子には旅をさせよ」という名言がある。今はそれをかわいい子にはすべて準備万端にしてあげて、お金を持たせ、さらにはクレジットカードや世界対応の携帯電話まで持たせて旅行させてあげるのごとく勘違いしている親が多い。江戸時代までは一度、旅に出ることは再び戻ることのない死を覚悟してからの旅であった。そしてひとたび旅から無事に生還できた時人生観もドラスティックに変わり、本当の意味での人生を歩み始めるのだ。




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