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走馬燈~甘いキャッチフレーズ

最近、海外旅行はずいぶん便利なった。行きたい場所を旅行雑誌や代理店、またはインターネットで調べ、日数や予算、オプションなどを伝えればあとは出発地点に行きさえすればよい。「憧れの~」「魅惑の~」や「極上の~を満喫」などの甘いキャッチフレーズに誘われて、旅行をする人も多いだろう。出発地点の空港に着くと係の人がいて参加者からパスポートを集め、それを搭乗券に変えて戻ってきて名前を点呼しながら案内パンフレットとともに参加者にお渡しする。現地に着くとまた別の係の人が「~ツアー様」と書かれた札を持って出迎えてくれる。そして、大型バスが空港から全員を乗せて各ホテルまで送迎。係の人がホテルでもチェックインの手続をしてくれる。万事順調にいくのが当たり前。

「魅惑の~」に誘われて実際に現地まで来ては見たが回り中、日本人でせっかくの海外なのに日本語が飛び交う。異国情緒もあったもんじゃない。現地のガイドさんの日本語の説明をなるほどと聞いて、「kokode oshashin o otorikudasai」と写真を撮るのを促され、それじゃあとばかり記念写真を何枚も撮ることになる。連れて行かれるショップもレストランもすべて日本語が用意されていて何の苦労もしないで買い物も食事もできる。

旅行をしたあと、どんな記憶が残ったかというと曖昧模糊としていてあまり実感がない。せっかくあれだけ見て回ったんだから、もっと心に残る印象があっていいはずだと考えるがいっこうに思い出せない。たくさん撮った写真を眺めてみるが、友達と一緒のピースサインばかりが目立って肝心の旅の情趣などはどこにもなかったりする。道に迷って、現地の人と片言でもいいから彼らの言葉で話をしたり、電車の中で蜜柑をもらったりとか、日本のお菓子を勧めるだとか、そういう自分からした行為があって初めて、そこの空気を感じることができる。

自分から何もしないでじっとしているままで、目に映る景色が次々に変わっていくようなおもてなしのような旅行は実はイリュージョン、幻なのだ。この走馬燈のような現象が今は日本中に蔓延している。ただ甘い言葉に乗せられ、バスや飛行機に乗せられているだけでは、一見美しい光景が目の前を過ぎていくが、それは映像の世界と同じで実存しない。目の前にある風景が実存するためには、自分の足で大地を一歩一歩、踏みしめて前進するほかないのだ。

今日、危惧されるのが実在と虚構が混在し始めたことである。デジタル化が人間のアナログの感性を崩し、人間の領域を陵駕し始めた。デジタル化によって微分から瞬間に社会が移行し、人間から想像力を奪い、仕事も奪った。数字だけが社会を支配し、その数値によってすべてが計られるようになり、医療、経済、教育、エンターテインメント、あらゆる分野で数字が主役となった。現実の人間の生活とかけ離れたところで社会が動いている。

竹中平蔵元財務大臣と小泉元首相の掲げた構造改革がデジタル化に拍車をかけた。「痛みに耐えて」と国民に訴えたがそれが「永久に」だとはほとんどの国民は思わなかった。
貧乏人は虚構で生きていかねばならず、さらにその子どもは事実上、階級闘争という試合にも参加できなくなることが懸念される。

インターネットの普及も日常生活において便利になった側面もあるが、同時にたやすく同病相憐れむ仲間を捜せるようになった。そして、弱者はさらに弱く、強者は弱者を見つけると徹底的に叩きのめすダブルスタンダードの場となった。

「転がった分だけうまくなる、氷にたたきつけられた分だけ強くなる。あとは自分を信じるだけ」キム・ヨナ選手の言葉は今の時代、国境を越えて心に響いた。



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