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いかに学ぶべきか?

2学期制の学校では前期期末試験も終わり、そろそろ成績も出そろってきた。生徒は各自自分なりに努力し、それ相応の結果が得られただろう。しかし、その結果が多少良くても満足することなく、思ったほどよくなかったらさらに反省をし、いずれにしても改善点を見つけ次につなげなくてはいけない。

学習のしかたについて、昨今の生徒の学習方法にムラがあり無駄があるように感じる。先ずは各単元で目標とする学習内容がある。それは当然、指導者が独自のやり方で分かりやすく伝えようとするはずである。そのときに学習者が一番使わなければならないのが目と耳である。指導者の伝えようとすることを手振り身振りを含め、表情、口元を見つめ、言うことに耳を傾けなければならない。この段階で学習者の修得度は決定される。100%理解したのか、80%なのか60%なのか40%以下なのかこの時点である程度決定的な差が生じる。この後、どんなに学習してもこの最初の段階の理解度を超えることは難しくなる。

指導者が何かを伝えようとしているとき、学習者の視線が指導者に向いていない場合、理解度は一気に半減してしまう。それに伴って習得率もさらに悪くなる。こういう学習者の多くは、指導者が話しているときに教科書に目をやっていたり、ノートに何か書いていたり、または何かペンを回していたり、消しゴムをいじっていたりなど、気が散って集中できていなかったり、友達とおしゃべりしていたりする場合が多い。そういう生徒からは「もう一度言ってください。」という発言が多い。

次の段階では理解したはずのことを記憶することが必要となる。記憶すると言っても、最初の段階で指導者の話に視線を逸らさずに集中していれば、学習内容の約80%はすでに記憶されているのだ。何かをスケッチする時に最初の5分から10分のうちにだいたいの構図が描き上がるのと同じだ。その後、木の枝の伸び方だとか、ベンチにどういう人が腰掛けているだとか、池の周りを犬を連れた女性が歩いているかなど細かい部分に注意して描き込まねばならない。これが残りの20%の作業である。この記憶の整理作業は目と脳のイメージ力がリンクされて行われ、学習したことを確認しながら口述し、記憶が定着に向かう。

たいていの場合、ここまでで学習が終了したと勘違いしてペンを置き、脳の活動も終わってしまう。だが、大切なのはここからで学習したことを自分のものにしなければならない。例えば、何かの料理のしかたを教えてもらってそのレシピをもらって安心しているのと同じだ。何度も自分で実験しなければならない。初めは、レシピを見ながらでもいい。ゆっくり丁寧にから次第にレシピを見ずに速く丁寧に出来なければならない。さらには自分で工夫を加え、自分のオリジナルレシピを作り上げて初めて自分のものになり始めたことになる。つまり、指導者の伝えようとすることを自分で実験し、違いやずれを発見、修正、改良して初めて学習が終了したことになる。
多くの学習者は最終段階の自分のものにする過程を行わない。従って、何度も何度も同じミス(たいていの場合は最初の段階の理解していない部分)を繰り返すことになる。砂上に文字を書いたり、図形を描くようなものですぐに風化し、忘却の彼方へ雲散霧消していく。勉強という狭い分野だけではなくスポーツでも、習い事のすべてはコミュニケーションによって成り立つ。もちろん、ある程度の習得後の成長は天性の才能が占める部分が大きくなることは否定できないが、これは、すべての学習行動に共通するプロセスだ。

テレビやインターネットの普及、携帯メール、ゲームなどの通信機器の性能は飛躍的に上がったが、それらは人間のコミュニケーション能力を低下させただけでなく、人間の脳の学習機能も著しく脆弱したものにしてしまった。



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