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インスタント時代の祭り

山々の木々がうっすらと色づく頃になり、秋の収穫も終わりを迎える頃になると各地方で収穫を祝う祭がとりおこなわれる。祭、それは地縁的共同体の中で、風土と深く関わり合いながら長く培われてきた歴史や伝統、地域信仰や風俗が一つの具象的形体で結節したものだ。伝統文化を確実に世代から世代へと受け継ぎ地縁的共同体の帰属性を再認識し、再構築していくための儀式である。
祭は正月に農耕の豊凶を占うことから始まり、桜の開花を稲作の予兆とする鎮花祭(春祭り)を経て夏の田植え祭、秋の盛大な収穫祭、そして物忌をする冬祭をもって年中行事が締めくくられる。そこにはある種の厳粛性や芸術性、その地域のダイナミズムが横溢していた。
*横溢…溢れるほど盛んなこと

神無月の頃、ほとんどすべての中学校、高校で文化祭や学園祭が行われる。「祭」がつくのだからアカデミックなもの、芸術性のあるものをつい期待してしまうが実情はかなり違う。いつの間にか若者にとっての「祭」は「盛り上がれば良しとする遊び」に意味を変換されてしまったようだ。屋台で焼きそばを売ったり、または間に合わせで何かの展示をするといった程度のモノが多く、これといって「祭」に相当するモノが見あたらない。自分たちだけで盛り上がらないと分かったものは外から金をかけてお笑い芸人や歌手を呼んで盛り上げてもらう。内輪で盛り上がって騒いでそれを成功と勘違いし、それから大人の真似をして「打ち上げ」をする。

学園祭や文化祭を子どもたちだけの自主性に任せすぎた大人の無責任さも問われるべきだ。子どもたちの新しいことに関しての発想は確かにすばらしいものもあるが、はたして伝統文化や伝統芸能に関してはどうだろう。知識も経験もほとんど無である。せっかくやるのなら地域の大人たちや父兄、教師が生徒たちと協力し合って何か一つ本当の成功とよべるものを創ってもらいたいものだ。年長の人からいろいろなことを教えて頂き、感謝して成長していく姿勢が文化を育てていくことでもあり若者を育てていくことでもあるはずだ。そこには人間としての礼節も年長者に対しての敬意も自ずから生まれるだろう。そして自分が伝えてもらったことは確実に次の世代に継承していかねばならない重責も感じる。

大人たちも子どもにどう接したらいいのか迷いがある。今の世の中はインスタント時代だ。なんでもやろうと思えば簡単に手早くできる。つまり、手間をかけずに手を抜くことがいくらでもできる。料理もコンビニや電子レンジの恩恵に預かればさほど手間はかからない。子育てもテレビやゲームやお稽古ごとで代用してしまう。『子は親の鑑』と言うが子どもには親の似て欲しくないところがよくでてしまう。宿題でも手っ取り早く済ましてしまおうとする悪習がつく。勉強でも分かったような気がしてつい端折ってしまう。それを飲み込みが早いとか理解力があると見るのはたいてい親にもそういう傾向があるからだ。

実はそこに大きな落とし穴がある。学習とは早合点しないことが第一だ。特にテストで優秀な点が取りたければ、普通こんなところは飛ばしていくだろうというところをこそスピードを落として確実に内容を把握していかなければならない。基本と応用、それに難しいところはテストに出るものだ。問題は残りの数パーセント。それは分かったつもりになっているところから出題される。盲点をつかれる。つまり、ポイントはものぐさをせずにきちんと一から十まで隅々まで目を通して理解しておくことだ。頭がいいからいい点が取れるのではない。手を抜かないからいい点が取れるのだ。頭が悪いからいい点が取れないのではない。ものぐさをして適当に手早く済ませたから、いい点に結びつかないだけだ。

伝統文化も学問も過去の先人たちが苦労して築き上げてきた財産だ。それを分かったつもりになって切り花のように扱っては申し訳ない。その目に見えない地中の根の部分や幹に刻まれた年輪の厚みを感じながら文化も学問も大切に扱っていきたいものだ。


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