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地方再生の兆し 1

政府の教育再生会議は1/19日、首相官邸で合同分科会を開き、ゆとり教育の見直し、教育委員会改革の実施などを柱とする第一次報告案を大筋で了承し、24日の総会で正式決定する。それにしても官僚は自分たちののやることに対しては決して自分の非を認めることはなく、あれだけ教育、ひいては日本に負の遺産を残したにもかかわらず「見直し」と言うだけで幕を引こうとしている。全体責任は無責任の屁理屈がまかり通ってしまうから恐ろしい。

ゆとり教育の失敗の原点は学習と研究のプロセスの混同にある。学習とは他人の研究結果のパターンを正確に学び自分のものにすることである。つまりパターンを詰め込むことにほかならない。パターンを丸暗記することだ。研究とは新しいパターンを見つけること。例えば新薬の開発や最新のロボット工学、遺伝子工学などにおいて自由な発想や創造力が必要となる。研究者は他人のパターンをすべて学び終えた人だけがなれる特殊な専門職である。そこがぶれた。

国内において経済格差が広がっているがそれは多くの国民が今の政党を支持してしまったのだからある程度、仕方ない。こんな筈ではなかったという訳にはいかない。しかし、教育に関しては被害を受けるのは子どもたちである。子どもたちに負の遺産を押しつけてはいけない。大人たちが子どもたちの規範となり他人の迷惑になることはしてはいけないことを示し、さらには他人を思いやる気持ちを見せてあげる必要があった。大人たちが目先の欲に囚われ問題を先送りした結果、国も地方も疲弊した。国からの国庫支出金をあてにして無計画な箱物を作る。一時は潤うが運営がうまくいかないからまたさらなる負債を生む。まるでお金の薬物中毒だ。群馬県の伊勢崎市でも現在ある観覧車を撤去してまでも新しい観覧車を作るという。無意味を越えてあきれた悪政だ。借金は誰が払うのだろうか。ゆとり教育の時と同じで責任は誰にもないことになる。

ゆとり教育の号令の下に、惜しげもなく考えもなく世界一の教育制度を捨ててしまった。もちろん完璧な制度などどこにもない。そのつど時代の変化に対応して変えていけばよかったはずだ。それを「受験戦争」だとか「詰め込み教育」「偏差値」「学歴社会」とかイメージの悪いフレーズを並べ立てられ、一気に方向転換して改悪に踏み切ってしまった。「美しい日本」は聞こえはいいがサブタイトルに「自信のない心の貧しい日本」と言われているようでならない。

日本が戦争に負けてアメリカの思惑通り精神面まで腐食させられてしまった。戦後の日本の奇跡的な復活は、負けてたまるかの魂の持ち主たちの手でなされたものだ。時代の流れとともにそういう大和魂も風食していってしまった。
日本は地下資源が乏しいのだから未加工のまま世界に売り出せるものは何もない。世界に立ち向かえることができるものは世界一優秀な頭脳と世界一器用な職人技しかあるまい。それも戦後の経済復興に全力を尽くして頂いた人々のおかげなのだ。それさえも世界に引けを取るようであれば日本の将来は急速に翳りを見せるだろう。

宮崎県知事に元タレントの東国原英夫氏が無党派層の支持を得て次席に7万票の大差で当選した。相次ぐ談合や知事の汚職、官僚指導の拙策に県民がNOを叩きつけた。これが宮崎ショックとなりマニフェストで候補者を選ぶ選挙が各地に広がれば地方が変わり始めるかも知れない。

北海道夕張市が経済破綻をして国の管理下に置かれることになり、その結果今年度の成人式の予算が1万円となった。しかし、夕張の若者たちは自分たちで手作りの思い出に残る成人式をあげることができた。その反面、現状視察の大義名分で議員たちが夕張市を訪れたがそんな予算があるなら成人式に回してあげた方がどんなに効果的か考えてみた方がいい。地方も与えられる側から夕張市の成人式のように自分たちの手で築きあげていくような積極的な姿勢が求められてくるだろう。

お国の事情はそれぞれ違うだろうが日本にとって何が大切なのか、日本人が失ってしまったものは何か、各人が落ち着いて熟慮しなければ「美しかった幻の国日本」になりかねない。



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