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迷い

日本の文化は自然を大切にし自然と調和しながら育まれてきた。山の神、川の神、道の神様々の神が日本を見つめ守っていてくれた。先輩や年配の人に教えを請い、彼らに敬意を払って日本独特の縦社会のバランスが保たれてきたと思う。自分が学校でも家庭でも社会でもどこにいるか分かりやすいし、何をすればいいかも迷うことが少なかった。その日本文化の根底思想にあったのが「恥の文化」で縦社会の繋がりからスタートした不平等を時間とともに見事に横社会へと再構築していった。「お陰様で」と言いながら周りの人たちと歩調を合わせ争いをできるだけ避け、ほとんどの日本人が自然な流れの中で裕福な中流家庭へ移行していくことが可能だった。

西洋文化が入ってきてからも日本は上手にそれを取り入れてきた。異文化を吸収する能力は日本人はすばらしい能力を持っている。それが近年になり西洋の一神教を軸とする精神文化と経済戦略が日本に流れ込んできた。すべてが平等からスタートし、自由を与えられ好きなことに挑戦していく西洋の横社会が日本の縦社会を揺るがした。平等からスタートするが時間の経過とともに差がつき不平等になっていく。マラソンのように一位二位三位と順序がつくことが当然であることが前提の平等である。将来的には必ず格差社会が待ち受けているのが分かっているのだから西洋社会の競争は日本の競争とは比べものにならないくらい熾烈で激しいと言われているのも理解できる。西洋社会で挫折したとしても彼らには神がついているので精神的には神を持たない多くの日本人ほどはダメージを受けにくい。

そういう変動期の日本の中で多くの日本人に「迷い」が生まれるのは当然かもしれないと思う。社会の中の大きなブレが子供だけでなく大人も迷わす結果となり、かつては見られなかったような事件が多発しているのだと思う。一二年前に起きたオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件もそのブレの予兆だったのかもしれない。

「四十にして惑わず」という孔子の言葉も今は通用しなくなり「迷い」が若者だけのモラトリアムではなくなった。迷ったら抜け出せない迷宮に入り込んでしまう恐怖さえ感じる。しかし、「迷うこと」によって自分がどこにいるかさらにはっきり分かるようになるし、どっちの方向に向かえばいいか決断できる。迷った果てに自分で出した結論がなければきっと後悔するだろうし、失敗したことを他人のせいにしてしまうかもしれない。

「私は何をすればいいんだろう?」「将来何がしたいんだろう?」いろいろな選択肢が今、与えられているから迷い悩める自分がいる。将来のことで迷えることは私は幸福だと思います。世界中の子供たちが私と同じように勉強ができる環境に置かれていなかったり、自由も平等も与えられているとは限らないからです。

今の私は将来の明確なビジョンはありません。しかし、今私がするべきことは日本だけでなく世界の歴史を学ぶこと、世界の地理を学ぶこと、世界の文化を理解することだと思います。歴史を学ぶことで時間的に、地理を学ぶことで空間的に、文化を理解することで精神的に成長できるからです。大学に行き、チャンスがあれば自分の目で学んだ世界を見て視野を広げ、自分の足、口、手を使い頭で考えていきたいと思う。

否応なく世界が変わろうとしていく中で私は迷いながらも自分を成長させていく努力を続けていくことが自分の迷いから不安を取り去ることであり、迷いから自信へとつなげていけるような気がします。



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